国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   花見の時   MAXやまびこ

何事ぞ花見る人の長刀花見に平素の身分、階層を持ち込むものは野暮というものだ。花見に、行って武士の権威を振り回すような輩は、「なんだサンピンえらそうにするな」と兆人どもから反発をくらうことになる。花見には、町内や職域と言った小共同体の仲間が、つれだって出かけることが多い。それは、新しく共同体意識を盛り上げようとするか、あるいはこわれかかった共同体意識わ立て直そうとするのに利用されている。だが花見の場合は、あくまで小共同体意識にとどまり、大共同体意識になれない。そこで小共同体同士がいがみ合いをおこしてからだ。花見時のケンカと言えば、個人同士のやりあいよりも団体客の乱闘が多いのは、そのためであろう。言葉に頼らない日本的なコミュニケーションの取り方は良い。
年や性別にかかわらず、同じものを見て、同じことを理解しあえるからだ。例えばお祭りに行ったときは、みんなが同じように楽しそうな気分になっている。だから理解しあえるのだ。
コミュニケーションをとることで、優しい気持ちが生まれるからだ。言葉に頼らずに、コミュニケ—ションを取り、相手の解釈に任せて、理解のもとになったりする。
確かに、言葉でははっきり自分の意見を言う方が誤解が生じにくい。しかし、「トランプが生きているのは、それが実際のプレーに使われているときである。」と言う名言があるように、言葉に頼らない共通理解を基にした日本的なコミュニケーションの取り方は良いと思う。

   講評   kira

 MAXやまびこくん、こんにちは。日本的なコミュニケーションのとり方はやさしいね。しかも感受性の鍛錬にもなるようです。
★要約が「花見」の内容に偏ってしまったようです。「見る」ことで成立する日本の社交のことをまとめるかたちになるといいですね。

 お祭りのときの連帯感はなんともいえませんね。地元の人々との絆を感じるのは当然ですが、仮に旅先で出会った祭りであっても、日本人として同じような楽しさを感じることができます。太鼓の音に胸がおどります。
 「優しさ」が養われることでは、ぜひ具体的な一例がほしいね。いい時もわるい時も、友達同士ならではのさりげない接し方があります。言葉にならない信号を察知して、やさしく接することができています。「思いやり」という美しい言葉が、私たち日本人のふだんのコミュニケーションから育っているというのは、うれしい驚きですよね。
 確かに、学問や会議といった誤解やすれ違いの許されない場面では、論理性や理屈が大切です。しかし、人が感情豊かに生きていく場においては、日本らしい相手に委ねる語り方が生きてきます。心豊かの原点ですね。


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