低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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一番! 藤っ子
「七・・・八・・・九・・・。」 私は、忘れられない一番になったことが二つある。 一つ目は、なわとび名人になったことだ。四年生の三学期、体育の授業は、なわとびだった。一番最初のなわとびの授業の時間に先生から「なわとび名人になろう!」というカードを渡された。それは、色々な種類のとび方を決められた回数とべたら合格というもので、最終的には 「なわとび名人」となるのだ」。私は三年生の時に、ある先生が三重とびや後ろ交差二重とびなどを軽々とやっていたのを見て、 (すごっ!うちもあんなんとびたい!) とあこがれ、それからなわとびが好きになった。それまでは全くなわとびに興味が無かったから、二重とびですら、一回もとべなかったが四年生の時点で二重とびは簡単に出来るようになっていた。カードの半分ぐらいまでは、「前とび五十回」とか、「交差とび二十回」とかだったので余裕のよっちゃんだった(笑)しかし、半分から下は二重とびゾーンで、「後ろ二重とび二十回」や「はやぶさ二十回」など難しい技ばかりだった。でも、幸いにも、私の学校にはなわとびのためのジャンプ台があり、先生が 「ジャンプ台使ってできても合格!」 と許可してくれたので、みんなは少し安心した。しかし、いくらジャンプ台をつかっていいとはいえ、なかなか出来るものではない。それでも私は毎日、休み時間に練習をし、こつこつとクリアしていった。なわとびが始まってから、一ヶ月では私はみんなよりもあきらかにうまかった。(じぶんでいうのもなんだが・・・)しかし、さいごのひとつはなかなか合格できなかった。それは、最後の難関 「交差二重とび二十回」 だ。ずっと練習していて、ともだちにも 「がんばれ〜!」 「あと、もうちょいやでっ!」と、たくさん応援してもらい、まるで二十四時間テレビのマラソンランナーにでもなったかのようだった(笑)ある日の休み時間、わたしがジャンプ台で練習をしていた時、他のみんなは回数を数えていた。 「七・・・八・・・九・・・。」 「十!すごーい!やったな!」 ついにとべた。とべた瞬間、私はうれしくてまるで天使が舞い降りてきたかのような気持ちだった。ついに、私はなわとび名人第一号になり、学年で一番になることが出来た。 もう一つはそろばんだ。毎月、学年別で行う塾内だけのミニ大会があった。わたしがこのそろばん塾に入って初めての学年別(大会のことをこう呼んでいる)があった。すると・・・大差で私が勝ったのだ。初めてやった学年別で一位になれたのだ。わたしはうれしくた心の中で (ヨッシャー!) と叫びまくった。それからも、ほぼ全勝でたまに負けたときはすごくくやしくて、がんばった。すると次の月はかつことができた。 一番になるということは人間にとって、とても誇りになることで、(また一番になろう)という次の目標への励みにもなるとても大事なことである。
講評 nakami
お清書、がんばりました。読解問題の答え待っていますね。
お母さまへ
パソコン送信ありがとうございました。
お清書は4週目の作文として送っていただきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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