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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   学問のバトンリレー   紫式部

何のために勉強をしていますか? 今の私の答えは『大学受験のため』である。日本は国が決めた教育制度によって小学校6年間、中学校3年間が義務化されている。その先の高校、大学は個人の意思によるものだが、よっぽど特別な事情がない限り、今やほとんどの子が大学まで行くルートが出来上がっている。こんなご時勢だから、大学まで行けば就職口は見つかるとは言い切れないが、やはり、大学の新卒が就職に有利なのは事実であるし、大学まで行くと自分未来が展望しやすい。猛勉強をし、憧れの大学に入り、少しキャンパスライフを楽しんだかと思えば、とたんに就職活動に専念する学生が多い。
高校生は今のそんな大学生を見て『きっと、自分もこんなふうになるんだな。』と就職活動に駆け回る自分を想像する。ため息が漏れる。そして、今こんなにも自分の脳に詰め込まれている勉強は、就職活動を最終地点として走り出したゴールの見えるマラソンのようなものなのか。と、落胆してみたりもする。難しい数学の公式も、世界史の人物の名前も、英単語も、文法も、使われることなく埃を被って記憶の海に埋没していくただの代物なんではないかと、思ってしまうのだ。「だったら、勉強をする意味って、なんだ?」「なんなんだ。」
 「そんなことも分からないの?」 と母は半ば呆れ顔で言う。「自分の世界を広げるためでしょうが。」と。確かにそうなのだ。勉強が出来れば出来るほど自分の選択肢は広がる、視野が開ける。だが、今の人間はあまりにも社会と勉強とを結び付けすぎている。就職に有利なように勉強していい大学に入る。社会に認められるために、世間に認められるために、他人に、親戚に、友人に、親に認められるために勉強をしている。勉強のフォーカスを近々の社会に合わせるのは良いが逆にそれによって勉強本来の楽しさや、存在意味をとり間違っている人が多いようだ。勉強は決して、社会や他人のためにするものではない。自分のためにするものである。やはり、そのような自分のためにする自由な学問がしにくくなっている今の社会は問題だ。
 原因にひとつに、社会の『学問つまみ食い現象』があることが問題である。平日休日テレビをつければ必ずどこかの局で必ずクイズ番組が放送されている。東大美女、アナウンサー、お馬鹿キャラ、お笑い芸人など、様々な肩書きの人がで出てくる問題に一喜一憂しながら答えていく。見ていると知識のつまみ食いみたいなことをしている気がして、一視聴者の私としては少し物足りなさを感じる。学問が上っ面をなめるような軽いものとしてのイメージを受けてしまうのだ。学問はもっと重厚なものなはずだ。逆に、一年に一度テレビで放送される全国高校生クイズはレベルが高い。問題を出す方からも、解く方からも学問に対する崇高な気持ちが伝わってくる。洗練された学問に触れられる。このような質の番組を目指していくべきだ。
 原因の二つ目には、かつて日本を手本としていた他のアジアの国々が台頭してきたことにある。中国や韓国を例に取ると勉強だけ見ても勢いが違うのは明らかである。韓国なんかお受験競争だし、中国もすごい勢いで英語教育に力を入れたりしている。そういう国々と比べると日本は明らかに、もたもたと、ゆっくりと学んでいる感じがする。必至さはない。日本の学生はそのようなアジアの国々を横目に見ながら何を思っているのだろう? 「こうしちゃいられない!」と思うのだろうか? 多分否だ。今のゆっくりな状況に甘んじて学問に自ら手を出す人は少ないのが今の現実だ。
 確かに、学問というと堅苦しいもののように思われるが、おそらく元々は、古代の人々が自らの知的好奇心を満たしたり、生きていくための知恵だったものだろう。長い時間をかけて現代まで伝えられたものだ。私たちはそれらの知識を次の世代に運ぶ使命がある。もう一度何のために勉強をしていますか? と、問われたらもう、「分からない。」とは答えられないはずだ。なぜなら、その答えは私たちが学問というバトンを渡していくであろう後世の人々が出す答えだからだ。

   講評   kira

 紫式部さん、こんにちは。学問の意義について、現代社会の問題を考えるテーマでした。
 状況実例で思わず筆が走りましたね。今まさに学問の登竜門にいる高校生たちを代表して、苦しい胸の内を吐露しました。(え? まだ登竜門なの? と思うかもしれませんが、受験勉強は学問の入口を踏む為の強いられる勉強というイメージがしませんか?)大学に入れば、自ら志向する分野の学問ができるのです。(とはいえ、紫式部さんは現代大学生が、つぎなる就職という入試に向かって悪戦苦闘している姿に落胆したのですよね)
 「社会と結びつきすぎた勉強」に問題を見出したのですね。いわゆる「学問のための学問」がしにくくなっているということでしょうか。
 ひとつは「学問つまみ食い」ですね。これは愉快で新鮮な表現ですね。回転寿司みたいな感じでしょうか。いろんなジャンルのかるーい問題を次々解いて楽しんで、体系化しないということですね。軽薄短小文化極まれりということでしょうか。
 ふたつめはアジアの台頭ですね。アジアのハングリー精神に満ちた学究欲にくらべて、日本がもたついているのが歯がゆいのですね。しかし、これは日本に学問風土が見えないこと直接理由にはなりにくような気がします。たとえば、経済重視、もうかる学問だけ注目するような社会に原因をさぐってみてはどうでしょう。
 学問のバトンを渡す使命は、この時代の人間として果たしたいですね。「学びて思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆うし。」のように、学ぶことの意義をみんなが再確認することも大事なようですね。



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