創造と発表の新しい学力
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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子供の成長 かはふ
フィンランドの保護担当機関がある調査を実施したという話を読んだ。食事の指導や健康管理の効果がどのようなものであるかを科学的に調べるためだったという。その結果が、実に興味深い。フィンランドのこの調査結果は、そのまま子供たちの育て方や教育の在り方にも通じる話である。過保護が依存を生む。子ども一人ひとりが動物としての感覚を持ち続け、磨きながら成長するために、そういうことをたっぷりと行うことが必要である。
確かに、過保護や管理は人間の生きる力を弱める点でよくない。例えば、数学の問題集で分からない問題があった時、指導者に「どうやってやるの?」と聞くわけだが、それを指導者が答えるときに、どの範囲まで教えるのか、すべて答えまで教えるのか、全く分からない問題に対して、すべて答えまでも教えてしまうのは、生徒のためにならないと思う。せいぜい、最初にどこから解いていけばよいか。とか、おおまかな解き方程度である。その問題に出ている数字を使って指導者が解いていってしまうのを見ているだけではあまり見につかないと思う。方法だけを教えてそのあと、実際に生徒に解かしてみる。このようなことが、人間の生きる力を強めるのだと思う。
しかし、保護や管理が必要な時もある。なぜなら、子供は決して一人で育つわけではないからだ。例えば、グリム童話に、「ヘンデルとグレーテル」という話がある。継母に疎まれ、森に捨てられた兄弟が、自分たちの知恵で魔女と闘い、無事に帰ってくるという話だが、もともと、母が普通に育てていれば、こんなことにはならなかったし(話がなくなるが”)全く、手をかけないというのも良くないと思う。
保護や管理はそれ自体がよいので、悪いわけではない。しかし大事なことは、それらが人間の成長に応じて適切になされることだ。保護や管理は手段で、人間の成長が目的だということを常に考えておく必要がある。「大切なのは健康らしい外見ではなく健康自身である。」という言葉がある。保護をする中身をまず考えていくべきだ。
講評 kirara
長文に出てきた実例は、なかなか興味深かったですね。現代人がばい菌をきらってきれい好きになりすぎたために、菌に対する抵抗力が弱くなったという話を思い出しました。(これも実例になるかも…。)
<<こうせい>><<だいざい>>どちらの段落も、非常にしっかりと書けています。手をかけすぎてだめになってしまう例と、捨てられてしまったために大変な目に遭う例が対照的ですね。
<<ひょうげん>><<しゅだい>>関わり方しだいで、人間は変わっていくのだから、正しく関わることがもっとも大切なことだということですね。ここから、子育ての難しさ(人と関わることの難しさ)も見えてくるような気がします。
▼(第二段落)「見につかない」→ 「身につかない」
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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