国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   人生の司   おむふ

 カワセミの飛翔はなめらかである。薄茜の豊潤な毛をまとい、川面したたかにかすめる。そのきらびやかな様はそよぐ柳か光の使節か。いずれにせよきらめくこの鳥にひとつ妙な点がある。まさに産土神のごとき彼の鳥はだれに飛び方を教わったのであろうか。親。一つとして親に教えられ幼い内に修練を重ね覚えたのだろうというのが考えられる。もしくは本能として頭に秘められた力。カワセミといえども鳥である。飛ぶという行為は生きるがために必要なことであって、さりとて飛ぶのに苦労はしないだろう。では人はどうだろうか。飛ぶとまではいかないにせよ、なにかを実行する時なにを糧にそのものごとに興じていくのであろうか。例としてスポーツ。当然テニスラケットの持ち方が本能により備わっているわけがない。親が野球バットの振り方を知らなくては成す術がなかろう。だが人は知らぬことであっても実行しようとすればある二つのものをもってすれば実行できるといわれる。
経験と言葉である。言葉により伝えうけたまわったものは大いなる示しとなり、経験は失敗したものにせよ自分の中にみなぎっている軌跡をもとにしていくものである。ものごと、人生での行動というのは農業にいそしむようなものだ。他者からの言葉は多いなる実りにつながり、初穂を上手く実らせたときの経験はさらなる豊作になるはずだ。たしかにそうだろう。おそらく経験もしくは言葉のいずれかがおおきな実りをうむはずだ。どちらにより人は人生を歩むべきなのか。それを考えていきたい。
 まずは言葉についてである。言葉はおそろしいものである。大いなる暗示を与え、失態も招き、福をも招く。世を惑わす竪琴とでもいおうか。弾き方により多くのものを招く。なにはともあれ人の人生を左右するだけの力は十二分にある。言葉の力は人類のいにしえの秘刀である。兵士の士気を高めるための切実な言葉、言葉として絶対成しえると誓ったライト兄弟の長距離飛行。言葉による暗示と決意の力は大きく人生の富をつくりあげていくものだ。私にもこういった経験がある。小学生のころ私は放課後の帰り道、遊び仲間と一緒に野球をするのが日課であった。野球といっても当然、バッドは木の枝ボールは落ちていたゴムボールと本格的ではないにせよそれなりの技能が問われる楽しいものであった。だが、運動能力も日に日に伸びている遊び仲間に対して私はおそろしき運動オンチであった。ピッチャーとなれば5連続直球ストレートのつもりが、五連続ボールとなりバッターとなれば1分で三振アウト。まさにまれにみる運動オンチ(今もそうだが・・・)。体に出経験した失敗の経験を活かせといわれてもいまいちよくわからない。だが言葉でm君にこういってもらったことがある。「へそで打て」。私がバッターであったときである。少し理解しがたいものだろう。だがへそに力を集中せよとう意味合いのこの言葉は後に功を奏した。これを頭の中で唱えてうってみるとどうだろうか。見事にヒット。まぐれでなくその後何度もだ。言葉の暗示と意識。これは人生のかなめである。
 しかしながら経験なくしてはものごとは成り立たない。一つに、先の私の言葉が人生のかなめだという意見。これには私の体験実例があげられていた。すなわち根拠のある理論というものには経験がなによりであるということだ。その他のことでも経験が伴わなくてはなりたたないことが多くあるはずだ。言葉では物足りないことでも経験ならどうにかなる。
 今まで経験と言葉。二つの意見を展開してきたがやはり最後には冒頭で述べた「人生は農業のごとし」にたちかえるのではなかろうか。いわば言葉は肥やしであり経験は水である。どちらも良き利点があり欠点もある。二つの秘刀をもってこそ心の人生の船頭となれるだろう。

   講評   koni

 清書と読解問題ができました。
良いお年を!

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