国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   一見民主主義   メロディ・ブルー

 娯楽とは一線を越えた様な熱を帯びても、結局は趣味以上の何物にもならない場合が多い。然し時々ふと、若しくは吃驚する程に自分の考え方を変えてしまったり、心の型どりにぴたりと当てはまってしまう様なものが見つかってしまうことがある。「いいんじゃないか?一見民主主義っぽくて」——私の好きなアニメ「化物語」の冒頭の主人公の台詞もその内の一つである。クラスの委員長の女の子との文化祭についての話し合いで、出し物のアンケートについて発した一言だった。本人は否定しているが、其のひねていると表現するしかない言葉は一瞬で私の耳に引っ掛かり、私をアニメの世界観の渦へするする引き込んでいった様に記憶している。何故こんなにこの台詞が私の耳の内に残ってしまったのか。何故この台詞に微かなやり場のない共感の様なものを抱いてしまったのか。そう真剣に考えてみると、私は此の彼の発言、中々的を得ているのではないかと思うのである。
 学校なぞというものは独裁主義の塊を中身の無い民主主義で包括した一つの社会の模式図だ。私の学校だってそうと見る以外に他無い様な状況であるし、他の学校だって校則の厳格さが異なるとは云え私達生徒が管理される側にあるのは同じであると推察出来る。総合学習でのクラスの話し合いだってそうであると云えるだろう。先日性教育の授業で、中絶について学習した時もそうだった。中絶とは、問題が問題であり誰が悪い悪くないと云う単純な論理で方向性を決定出来てしまう生半可な問題でない。そのようなことは大人である教師達自身が私達よりもよく理解しているのではないかと私は思うのだが、教師は何故か其の時私達を機械的に「賛成」「反対」に分けて話し合いをさせようとしたのだった。恐らく教師達の思考を察するに、ディベート形式で一度生徒達を対峙させてみて協議の仕方を何となくでも理解させようと云うことだろう。だが私は其処で、生徒の考えていることは自分達教師が思っている程単純明快ではないのだ、と云う思考に何故行き着かなかったのかを問いたい。「皆が意見を出し合って最終的に結論に辿り着く」という一連の流れは本当に、「一見民主主義」っぽい。けれど其れに中身が伴っているかは、学校の場合では特に微妙であると思う——何故なら其の話し合い自体が、最初に教師達によってお膳立てされたものなのだから。この「一見」という言葉を民主主義の前から取り除くには、先ず教師達が生徒のことを信じて託すという行動が必要だろう。
 また、最近の日本社会では異なるとは云え、家庭内でも親・特に父親による独裁は行われていたし、他のアジアの国々では今も其れが変わらず各々の家に根付いている様だ。母親の韓国ドラマを時たま見かけるが、儒教の考えが矢張り今でも大きな効力を持っているらしく、親に従わざるを得ない子供達(と云っても大人であるが)の姿に疑問しか思い浮かぶことが無かった。継母や義母に恵まれず、全く正当でない形でいびられて只管に耐え忍ぶ主人公や、親に逆らえずに居るマザコンの男。韓国ではまだまだ男尊女卑の風潮があり、結婚するのにも親の意見がかなり重要な立ち位置を占めるそうである。そんな彼等に私は声を大にして「如何して抗議しないのか?」と訊きたい。民主主義とは、民衆が力を持って自分達の意見の声を次第に挙げる様になったから今実現しているものである。自分達が正しい筈なのに、何故無意味な耐久に臨まねばならんのだという話である。そう、次に——と云うか最初にえらいひとびとに自分達から抗議することが、行動を起こすことが民主主義への第一歩となる筈だ。
 とは云えども、私達自身が学校のことについて何も出来ない儘でいることは、確かに独裁政治に甘んじる小市民であるとだって取れる。その理由は、もしかしたら後者の家族内での独裁制については時間が経てば日本の様になったりもするのかも知れないが、学校の方は大学はまだしも中学・高校なぞでは私達に今どんな力があるだろうか。という話になってしまうからだ。つまりは前者を変えていく、そして後者の変化への加速速度を速める為に重要なのは、どちらか一方が強硬な姿勢に出るのではなく結局どちらも変わらなければいけないのだ、ということである。教師達は何故だか、其れを理解していない人間が非常に多い様に見える。逆に「どうせ何をしても、何も変わらない」という諦めを感じてしまっている人間もまた多し、であろう、私達は。見かけ倒しで有名無実にならない本当の民主主義を得る道は、なかなかに遠そうだ。

   講評   koni


【構成】 第一段落の実例が最後まで生きているね。

【題材】 社会的な実例と身近な実例を両方を書いたところがよいです。学生の社会活動の大半は学校という枠の中で行われているので、学校生活のことは迫真的で説得力がある説明ができるね。これからも、どんどん実例に入れていくといいよ。「〜思考を察するに〜」という書き方もさきちゃんらしくていいね。謙虚さも伝わってくるよ。こう考えてくると、成人するまでの教育はとても重要だと思えますね。個人の価値観だけでなく社会の価値観を作るからね。日本でも寛政異学の禁や教育勅語などの歴史があるものね。

【表現】 とてもよくできています。

【主題】 今のメロディーちゃんの立場では、なかなか真の民主主義を目指そうと強く主張するのは難しいね。色々なことを考えれば考えるほど自分の意見を強く主張しにくくなるし、真の民主主義がこの世に存在するのかどうかさえも考えると自信が薄れるものね。「本当の民主主義を得る道は、なかなか遠そうだ。」という結びに私は好感を持ちました。期待したいけど不安もあるし、そもそも自分には何ができるんだ、という気持ちが含まれているようでした。

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