創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   余白   まりい

私は、新聞が一生懸命に論じようとしている主張の、あまり良い読み手ではないような気がする。どちらかといえば私は、行間と余白の読み手であるのかもしれない。そういう意味で私は新聞を、月一度とか二度でなく毎日立つ縁日のようなものであると見ているふしがある。縁日であるから、やはりそこには、日常生活の時間の流れと異なった、さまざまな偶然の介入があったほうが良い。宝探しのように、情報も、予想されないような背景の中に含められている方が、ユニークなメッセージを帯びる可能性が大きいといえるかもしれない。私たちは行間や余白にもっと目を向けるべきである。
 その第一の理由としては行間や余白などのゆとりやおまけが重要な役割を果たしていることもあるからだ。私がよくやる方法では暗記物の余白に頭に残るような、ギャグ?の混じった絵はテストの時にも思い出して大事なことも頭に入っていることが多い。
 また第二の理由としては行間や余白というものが無いと疲れてしまうからだ。新聞でも本でも字がずらずらと並んでいては読む気も失せてきてしまう。その上余白も無く、ページ中真っ黒という本は一ページも読まないうちに疲れてしまうだろう。新聞でも経済面、政治面も、もちろん大事だが、広告やテレビ欄にゆとりを求めたくなることもある。
データによると「男性、女性ともに収入増と労働時間短縮のどちらを望むかでは、時間短縮を望む割合が約半数をしめている」とある。私は、人はゆとりがないと疲れてしまうと思う。
 確かに新聞が余白や行間ばかりのうすっぺらい内容では困る。しかし、「雑草とはまだその美点が発見されていない植物である」という名言もあるように余白や行間が重要な役割を果たしていることもあるだろう。余白や行間をあなどってはいけないと思う。また人々がゆとりを求めるのは余白という自分の新しい世界を探すためなのかもしれない。

   講評   kira

 まりいちゃん、こんにちは。3月もがんばろう!

 進級テストからは、新しい住所のシールで送ってくださいね。



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