創造と発表の新しい学力
総合選抜入試にも対応。探究学習を超えた、新しい創造発表学習。
AI時代には、知識の学力よりも、思考力、創造力、発表力の学力が重要になる。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   成長する文化   サニー

 縄文土器の異様な美に触れ、全身が膨れ上がった。いわゆる日本的と考えられているワビ、サビ、シブミの平板なパターンに対して、太々と明朗で強烈な、根源的感動をそれはぶつけた。欧米に目を向け、価値判断を預けて己を空しくしている現代日本。卑しくも世界の政治、経済の中心地がそのまま文化、芸術のセンターになっている。この根源的な、ナマな生活感の溢れる純粋な魂の風土ともいうべきものを見極めあい、再発見、再獲得し、拓いていくことが大事だ。<要約>縄文土器はこれまで主に歴史的資料として扱われてきた。しかし、縄文土器には私たちの知らない超越した根源的な感覚が秘められている。
 確かに、これまでの常識や伝統に基いづいた文化は尊重される。多くの人は、中流意識を持ちながら普通の家に住み、普通の生活をしている。大衆によって自然発生的に構成された文化の中に常識や伝統というものが出来上がり、人々はそれに従って生きている。多くの人がそのように同じような衣・食・住をすることで人々の感性が共鳴し、不協和音なく生活ができる。昔、ある有名人の家があまりにもその周りの風景に馴染まないデザインで、町の景観を乱すものとして地域住民から批判されるという問題があった。また、今でも時々聞く、「ゴミ屋敷」問題。住人は客観的ゴミを主観的宝として譲らない。このような、周りに違和感を与え、馴染まないものを人々は排斥する。確かに、これはとても人間的で自然な感情だと思う。しかし、これは度が過ぎると宗教争いに似た、信念の摩擦による塵労が起きる。ただ一つ言えることは、今日の統合的な組織性を強めた社会では、個人的な趣味は、他人に迷惑をかけない程度でする必要がある。
 しかし、昔の寂れた風土的かつ根源的な文化をも大切だ。これまでの人類の歴史で大きな発明や発見の多くは、これまで誰も見たり考えたりしなかった新しいものや視線から生まれた。同じように、日本という風土に住んだ同じ人間として、その根源的なものに触れると、共感し得る何かを見つけられると僕は信じる。しかし、それは多分、論理的に正確に理解できる学問めいた文化ではなく、とても抽象的で感覚的なものであると思う。ある学者は、縄文土器に多く見られるS字型の流線型を、広がる宇宙の表現であると解釈している。人々が自然に逆らうことなく自然界に畏敬の念を抱いて生きていた時代だからこそそこから様々な発想が浮かび、無限大の芸術を生み出したのだろう。自然に逆らうように大地を切り開き、人為的な農耕の始まった弥生時代の機能的な土器に比べ、縄文式土器は生活必需品である器に装飾性や宇宙的観念を加えているところにその芸術性の高さを感じるそうだ。縄文土器は土だ。全ての始まりである土からは、あらゆるものが生まれ、成長する。土から生まれた木は、生長し続けるが、限界もある。人間は、その文化という木の成長が止まると、新たに芽吹く木に乗り換え、その成長を楽しむ。それまでの木を見捨てることは名残惜しく、抵抗があるかもしれない。しかし、新しい木には今までにない新しい発見があるかもしれない。その新しい芽を育てる為には、いつでも土という根源的なものが必要となる。つまり、発達した文化の根源にはいつも豊かな土ならぬ豊かな発想と環境が必要だ。
 確かに、これまでの常識や伝統に基づいた文化を尊重することも、根源的な文化を拓くことも大切だ。しかし一番大切なことは新しいものと古いものをバランスよく取り入れることのできる柔軟な姿勢だ。「もともと地上に、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる。」という名言があるように、文化ももともとあるものではない。人々の都合や価値観によって自然に構成されるものだ。僕は、今までの常識や伝統的な文化を大切にしつつ、新しく成長する文化にも目を向けていきたいと思う。

   講評   komiko


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