低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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物・他者との関わり PINK
現代の日本人は、他者との接触を好まない。むしろ自分だけの世界で好き勝手やるほうが楽でいい、と感じている若者も少なくない。自分の殻にこもり、外界からの接点をほぼシャットアウトしてしまうことを選ぶ傾向が強いのではないだろうか。それらの現象には、人やものと出会い、触れ、感じる機会の減少が主な原因であると考えられる。私達の生きる時代に存在している道具類を改めて見直すことなど専ら無くなってしまった今日の社会は、道具と人間の関わりをますます浅くしてしまっている。我々は、もっと物との接点を増やしていくべきだ。
そのための方法として第一に、自分の手によって作る、つまり『手作り』の価値を見直すことだ。何でも店へ行ってお金を出せば買える時代になった現代にい生きる私たちは、なにか自分で、あるいは知り合いの人が手作りで作ったものと接する機会も少ないのではないだろうか。最近『家庭菜園』という言葉を聞くようになったが、このようにスーパーで気軽に購入できるハーブなどの野菜を自宅の庭・プランターで育てることで、自然のモノとの触れ合いを体験できる。かつて我々の祖先は、あらゆる道具を使って獲物を捕まえたり、またその仕掛けを作ったりと、自らの力で生きている実感を常に感じられる生活をしていた。もう少し現代に近い例を上げれば、今のように鉛筆を電動鉛筆削り器に突っ込んで尖らせるのではなく、ナイフなどの鋭利な刃物で削っていた頃があったそうだ。ナイフの使い方や力の入れ加減など、人間の感覚を使って理解することが多くあったはずであろうが、機械化されたことによって、便利になった代わりにモノと我々の生活との関わりが薄くなっていったとも考えられる。物を作った人との関係さえも見えづらい今日こそ、手作りの良さを再認識すべきなのだ。
また第二の方法として、学校教育では受身の授業のみならず、生徒同士が関わりを持てるような授業を展開していくべきだ。同学年の友達と話し合いなどをしていくうちに、一体感や連帯意識も生まれ、他人への無意識も改善されていくのではないのだろうか。教師と生徒の関係にしても、教師が一方的に何か喋って、生徒はそれを聞くか書くかするだけでは信頼どころかコミュニケーションをとる意識も無くなるだろう。江戸時代の寺子屋は、先生を慕う気持ちから多くの生徒が集まってきて、それがやがて『寺小屋』という名の学校となった(歴史実例)。学校は、人対人の環境を有意義に利用して、他者との関わり・出会いの経験を積む場所でなくてはならないのだ。
確かに、現代の社会では情報を効率よく処理するのも重要だ。だがしかし、そのベースに人や物との関わりがなくてはならない。情報の背後に潜む実体があるからこそ情報に価値がついてくるのだ。人間はたった一人で生きていくものではなく、様々なものと関わっていくことで初めて生きていける。(自作名言)我々は、人や物と接することで生きる実感を感じられる生活をしていくべきだ。
講評 kira
PINKさん、こんにちは。電車の中で「里山生活」を推奨する広告をみました。都会の生活でカブトムシにふれるのが怖くなっていた自分を発見したとかいうコピーでした。ペットを飼ったり、菜園をしたり、みなが求め続けるのに、生きている感覚はつかみづらいようです。
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