国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく。

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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   自分なりの生き方を   ファラオ

 人々が時間に追われるようになったのは時計が発明されてからといわれる。つい最近までは、日の出とともに田畑に出て、日の入りとともに家に帰って休むというのが当たり前だった。そして、もうひとつの理由は、テレビの画面の隅に時刻が表示されるようになったことで、大多数の人が表示される時間に追い立てられ、会社や学校に出かけるだろう。やはり能率的、効率的でない時間の使い方のできるチャンスをいかにして確保するかが課題だろう。私は時間に束縛されずに生きていきたい。
 その第一の方法は、物事に熱中することだ。私はあまり読書家ではないのだが、一時期「江戸川乱歩」シリーズに熱中していた。よくもまああんな分厚い本を読もうと思ったなあと感心してしまう。読めば読むほど本の中に吸い込まれていき、しまいには他人の声も聞こえなくなるくらい読みいっていた。もちろん時間なんかそっちのけ。全部読み終わり顔を挙げてみると、長針が一回転、いや二回転もしていた。外も空色からオレンジ色に変っていた。普段から時計をこまめに見る私でさえも、この時だけは時間にとらわれずに生きていたと思う。
 第二の方法は、ゆとりを持って生活することだ。確かにゆとりを持っていれば時間を気にする必要はないだろう。時間を気にする時はほとんどの場合忙しい時や急いでいる時であろう。つい最近、私は家を出る三十分前まで塾の存在を忘れていて、カレンダーを見た瞬間に思い出したのだ。ヤベエ、あと三十分しかない、と心の中で何度も叫び、また何度も時計よ、止まれ、と念じていた。(意味はもちろんない…(笑))まさに時間との戦いだった。もし、宿題が終わっていれば見る回数は一回で済んだであろう。
 確かに、時間どおりに生活することも大切だろう。しかし、「自分が考えるとおりに生きなければならない。そうでないと、ついには自分が生きたとおりに考えるようになってしまう。」という名言があるように、私は時間に束縛されない自由な生き方をしていきたい。

   講評   suzuyo



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