国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
小学3・4年生
小学5・6年生
中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
知る喜び ちこちこ
「このthatはどのような意味ですか。」
「どうして参議院は解散がないのですか。」
私はどの教科でもよく疑問をもってしまう。中学校のとき、たくさんの疑問を学校の先生にぶつけたが、わからないことも多かったようで、たびたび先生を困らせていた。しかし、疑問がとけたときには言葉ではいいつくせない達成感が胸の中に広がっていた。
私たちはもっと疑問をもつことを大切にするべきだ。
第一の方法としては、自分が本当にそのことを分かっているかを疑うことだ。
今年の三月ごろに塾の春期講習がはじまった。英語の先生は某有名大学卒で、その先生目当てにわざわざその塾に来る人もいるときいていた。かなりつめこみ授業なのだろうと思っていたが、その授業のモットーはシンプルで、初日に先生はこう言った。
「予習で完璧にする必要はない。どこがわからないのか自分で疑いながら英文を読みなさい。そして授業で疑問を解決する。帰宅後、またわからないところがないかチェックしながら復習する。それが大切だ。」
私は正直とても驚いた。頭の良い人は完璧主義だと思っていたためだろうか。私の中に革新が起こった気がした。先生の言うように、疑問点を洗いだしてから授業を受けるようにした。すると、今まで以上に英語が楽しくわかるようになった。疑問点を探し、もつことは「知る」ことの喜びを体感できる近道なのだと思った。
第二の方法としては、先生が生徒一人ひとりに疑問を投げかけるような教育制度をととのえることだ。
最近、黒板に重要なことを書くだけで、生徒に質問を投げかけない先生がよく見られる。とくに社会では重要なことが多いので、生徒は黒板に書いてあることを写すのに必死で、社会の内容を理解しきれていない。だからテストなどで問題が出されても、授業だけでは答えられない。疑問をもち、それを授業で理解すれば「そうなんだ!」「へえ!」と驚きや感動を覚え、定着しやすくなる。というのも、人間の記憶は感情と結びつきやすいからである。しかし、黒板を写すだけの授業ではこのことは存在しないし、ありえない。「質問されるとめんどうだ」といって板書だけさせる先生は、生徒の芽をつぶしているといっても過言ではないと私は考える。
確かに、物事を素直に受け入れ、納得することは大切だ。しかし、私は疑問をもちながら日々生きていく方が賢明だと思う。なぜなら、疑問をもってはじめて、そのことを「知りたい」と思うきっかけになるのだから。
「知る喜びの出発点は、自らのもつ疑問である。」
「勉強が嫌い、したくない」という現代の子供たちに必要な知る喜び。それは疑問という何気ないもので形成されると私は思う。
講評 sarasa
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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