国語読解力は、あらゆる学力の基礎。問題集読書の復読と、読解検定の自主解説で確実に力がつく
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   ふだん私たちは、コインを   パチリス

 ふだん私たちは、コインを丸いものと見なしている。もちろん、「丸い」とか「玉」と言っても、それは決してビー玉のような球形ではなく、つまり、正確には円盤形のことだと、誰でも承知している。けれども、もちろんコインは、年じゅう円形に見えるわけではない。水平方向から眺めれば、明らかに、薄い長方形に見えるはずだ。短い棒状に見えるはずだ。私たちは日常において、いつもある光景を見る。視点だけではなく、人間の認識一般は、ある立場からの有限のアプローチである。そういった表現は、レトリックと深い関係にある。レトリックとはそのように多角的に考え、かつ多角的なことばによって表現してみることである。私は、物事を多角的に見るのは必要だと思う。
 一つ目の理由は、多角的に物事を見ると、新しい発見があるからだ。私は、りんごを見ていて感じるものがある。それは、ぱっと見ているとどこもかしこも同じに見える。しかし、それをじっくりいろいろな方向から眺めていると違うところが見えてくる。例えば色が赤のところと、うすい赤のところと、黄色の部分がある。こういうところを見ていると絵を描くときに役立つと思う。全て、りんごが赤というわけでもない。アニメなどに出てくるりんごは、葉がちょこんとついているが本物のりんごにはついていない。自分が想像しているりんごと実物の自分が見ているりんごは違うとういことが分かった。りんごの色などを考えると新しい発見があるのだということも分かった。
 二つ目の理由は、一面的な見方では物事の真の姿が見えてこないからだ。例えば、日常生活の中に必ず地震ということが起こる。これは、自分たちには大きく震れているとか、小さい震れだとかしか分からない。しかし、地震というのは日本列島を動かしているのである。地震がくると、プレートが動きはじめる。このようなことは自分たちは何も感じない。現在、日本列島とハワイ島が近づいてきている。将来は、島と島がくっつくと言われている。このようなことは、感じたことがない。
 確かに、一つの場所から深く物事を見ることは大切である。しかし、「雑草とは、まだ、その美点が発見されていない植物である。」という名言もあるように、物事をいろんな視点から見なくてはいけないと私は考える。

   講評   sarada


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