低学年から学力の基礎を作る
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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プライスレスな物 くくれ
数年前、森林関係のある研究員の所に、ある村の村長が訪ねてきた。檜の木を一番高く売る方法だった。それは家の表札にして売る、というものだったのだが、村長は難色を示した。それは、せっかくの木を、切り刻みたくないからだった。そしてそれは、木の本来の価値と、商品価値は必ずしも一致しないことを意味する。木の文化に生きる日本人にとっては、その村長の気持ちも大事である。と僕は考える。その理由は二つある。
第一に、商品価値だけにとらわれると、物本来の価値を失うからだ。先ほどの檜の話もそうだ。また、僕や妹が使っていたランドセルや、僕の中学校(中高一貫で、中学、高校とも校舎は一緒だが)で、使用が義務付けられていた白ズックの肩掛けカバンのように、ボロボロでお金にはならない物でも家に残っている(どこにあるかは分からないが)。このように、お金に換算しないほうがいい場合もある。計れない
二つ目は、お金に換算しないで考えると本来の価値が出るからだ。僕がテレビで見た話だが、築地市場でマグロの初競りで千八百万円の値がついた。それを落札した店長は「半分も回収できたら上出来。落とせただけで十分」と言っていた。プロジェクト(そんな番組あったな〜)で、首里城復元のために使う瓦を作る瓦職人が出てきたことがあった。その人は、失敗した瓦の数が首里城に使う瓦の数(約55000枚)を超えても、多額の借金を背負っても、その瓦を完成させた。この人も、世間の中では、単なる多額の借金を抱えた人だが、本人はとても満足していた。
確かに、お金で物事を見ることも重要である。元ライブドア社長堀江貴文氏は、「すべての物はお金で買える」という名言(迷言?)も残している。しかし、僕は、お金で物事を見ることを全否定したい訳ではない。ただ、「お金だけで」物事を見るのが悪い、と言っているのだ。お金では計れない価値もあるのである。そしてそれを大事にすべきだ
講評 kira
くくれくん、こんにちは。科学万能の現代だからといって、なんでも数字で測るのは考えものですよね。立派な木ならば、その命をつなぐような価値の見つけ方が有りそうな気がします。心は、数字では計れません。村長の気持ちに賛同しました。
あるところで、台風のために村の守り神のような木が倒れてしまいました。その切り株で、大きな太鼓をつくったそうです。人間の魂を揺さぶるような音色を出します。これは、ほっとさせられる話ですね。
お金に換算して考えていると真の価値は見えません。使いこんだ鞄はそのくたびれた様子にこそ価値があると考えました。愛用の価値ですね。
お金のことを考えないでものごとを見ていくと真の価値が見える例として、マグロのセリと瓦職人の話を挙げました。これはどれだけの金額になろうとも目指したい境地はあるという例ですね。反対に、ボランティアのように無償の価値もありますね。
たしかに金額に換算して考えるほうが分かりやすく、理解しやすく、公平感もあります。しかし、内なる価値が大切です。それが見える心の目を持ちたいですね。ホリエモンも名言の仲間入りですね。なるほど!
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