https://youtu.be/PpbOa5IMaNQ
●デジタルとアナログの融合
なぜ作文というアナログなものが、語彙力評価というデジタルな方法によって測定できるのか疑問に思う人も多いはずです。
人間の感覚はアナログです。
それがどうしてデジタルによる評価と相関が高くなるのでしょうか。
話は少し変わりますが、昔のコンピューターの文字は線ではなく、ドットの集まりとして描かれていたので、いかにもデジタル的な印象がありました。
現在のテキスト文字は滑らかで活字で印刷したものとほぼ変わりません。
しかし、本質はドットの集まりです。
音楽もアナログ的な音の波ですが、それをデジタル的な数値に還元したものが、人間の感覚としてはアナログの音とほぼ同じように聞こえます。
絵画や写真や動画についても同様です。
●細分化が埋める感覚の差
厳密に言えば、アナログとデジタルには差がありますが、デジタル的な処理が際限なく細分化されると、人間の感覚としてはほとんど同じになるのです。
さらに考えを飛躍させれば、物質の最小の単位は無限に近いほど小さな量子の集まりです。
このように考えるならば、作文に書かれた文章の質をデジタル的に解析すると、それは限りなく人間の感覚的な評価に近づく可能性があるのです。
だから問題はデジタル的な解析方法の精度であって、デジタルそのものの問題ではありません。
●客観性がもたらす教育的効果
言葉の森は、長年の実践的な研究によって、作文の語彙の分布と密度が、人間による評価と極めて相関が高いことを発見してきました。
さらに言えば、人間の評価には細かで曖昧なところがありますが、デジタルの評価には曖昧さはありません。
人間の評価は、気分によって左右されることがあるかもしれませんが、デジタルの評価は気分には左右されません。
作文検定のデジタル評価は、まだ完全ではありません。
人間の評価と相関が高いと言っても、すべて一致するわけではありません。
しかし、それは、評価の方法によっていくらでも近づけることができます。
だから、人間の評価の感覚性のメリットと、デジタルの評価の客観性のメリットの比較になるのです。
そして、私は、子供たちの作文教育に関しては、デジタルの評価の客観性の効果がずっと大きいと思っているのです。
【参考としてAIの科学的補足】
「物質の最小の形態は量子」という部分は、量子力学の観点からは非常に鋭い視点ですが、厳密には「デジタル=離散的(不連続)」、「アナログ=連続的」という定義に基づくと、量子(エネルギーの最小単位)の存在そのものが、この世界が「デジタル的な性質」を持っていることを示唆しています。そのため、「デジタル評価がアナログな感覚に近づく」というよりは、「この世界そのものが究極的にはデジタル的な構成要素(量子)でできている」という論理展開にすると、より強固なメタファーになります。
【中根の感想】
わかったような、わからないような……(笑)。