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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   間の必要   シュシュ

 話し上手の人は「間」を取り入れている違いがあるように思える。風を吹かせながらの饒舌なら聞き逃すことも少なく連想や創造もできる。余韻余情、ふくみなどは間のとりかたに関ってくるが、おもわせぶりな間では意味がない。すると、間を必要とするのはそれだけの実質をそなえているものということになるのだろうか。パリの風景画で一点だけ朱の入った絵が印象に残る。
 私はこの文とおなじ意見で間を取ることは大切だと思う。
 一つ目の理由は間があることによって話などでも大切な部分がわかり、よく理解できるからだ。時々授業などでいろいろなことをしゃべりまくったり、一気に黒板に書いたりする先生がいるが、そういうせんせいより、少し話しては考える時間をくれたり、少し書いては少し待ちその後ゆっくり説明してくれる先生のほうがそのことについて良く理解できるし、考えることができる。
 二つ目の理由はもし間がなかったら、話すほうも聞いて得いるほうもつかれてしまうからだ。話すほうはもちろん、きいているほうも、聞いたことについて考える時間がなくて、こんらんしてしまったり、忘れてしまうかもしれない。分からない話を聞いても全然おもしろくない。だから、疲れてしまうのだと思う。
 しかし、間を取り過ぎても問題だ。間をとりすぎると、聞いているほうは「早く話してくれえ」とイライラしてくる。それに反対に、あまりに間を取り過ぎると、前になにをはなしたのかわすれてしまい、やっぱり混乱してしまいそうだ。それに、話している話の内容によって必要な間の量はかわってくるはずだ。だから、ちょうど良くはなしの実質にあった間をとることができるのが、一番いいと思う。「多すぎる休息は少なすぎる休息と同じように疲れさせる。」という名言がある。この名言のように、あまりに多い間では意味が無い。自然にちょうどよい量の間を取ることができるようになりたいと思う。

   講評   jun


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