対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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衰弱したアイディンティティの(感) ITI
衰弱したアイディンティティの(感)
衰弱したアイディンティティのぎりぎりの補強、それを個人レベル、感覚レベルでみればたぶん「清潔願望」になる。そして他者の他者としてのじぶんを意識できないとき、ぼくらの自己意識はぐらぐら揺れる。あるいはとても希薄になる。そういうとき、ぼくらは皮膚感覚という、あまりにも即物的な境界にこだわりだすのではないだろうか。自他の境界の最後のバリヤーとして。そしてそのバリヤー、つまりじぶんの最後の防壁を、過剰に防衛しようというのが、異物との接触を徹底して回避しようとするいわゆる清潔シンドロームだったのではないか。ぼくも皆そういうふうなバリヤーを持っていると思う
第一の理由に、病人との隔離があると思う。だいぶ前、テレビのニュースで、隔離されていた人たちが、訴えているのを見た。「人間扱いされていなかった。」と、その人たちが言っていた。話す、触れるだけで感染するとの思い込みにより始まった隔離。これこそがいわゆる“清潔シンドローム”なのではないか。
第二の理由に、自分だけの世界にと閉じこまってしまっていることがある。よく、「自分だけの殻に閉じこもる」という表現をよく聞く。これは、今の「自分だけで、誰とも会わず(触れず)にすごす時がほしい。」というまさに自他の境界のバリヤーなのだと思う。
そんなことはない、と思うかもしれないが、それは違うと思う。「存在するものには、よいとか悪いとかを言う前に、すべてそれなりの理由がある」という名言があるように、理由があるのだから、色々なヒトと付き合って行くのが大切だと思う。
講評 yuta
「皆バリヤーを持っている」という意見。鋭いね。しかし、ここで良いか悪いかをはっきりと述べていないので、結びの意見が弱くなってしまったね。〈是非の主題〉を打ち出し、最終意見へ向かって盛り上げていくように意識して書いていこう。
「病人との隔離」という第一の理由にはドキリとしました。自分を中心にした小さな世界についてではなく、大きな社会実例を挙げてくるとはさすが。 「私は病気ではない」「私はあの人たちとは違う」という個々人のバリヤーが、隔離されていた人たちの人権を奪ってしまった原因の一つだったのでしょうね。胸が痛みます。
第二の理由にも実例を挙げましょう。 先生は子供の頃、母とケンカをするとよく部屋に閉じこもっていました。それは「母にとっての私」の感覚が崩れたからだったのでしょう。でも閉じこもっていても解決にはならず、結局、部屋から出て顔を合わせて元どおり。あっけないものです。部屋のドアを開けるまではあんなに葛藤していたのになあ。
今回も考えをよく練って書けていますね。
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しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
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