対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
小1から作文力を上達させれば、これからの入試は有利になる。
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   正直な鬼とウソをついた神様   キティ


 バンバンバン!・・・鬼だぞー!
ギャ————ッ!!!
私たちの教室に鬼が入ってきた。鬼の顔は赤くて、角は金色にぴかぴかと光っている。ひげは黒くてモジャモジャだった。お腹は真っ赤でモコモコ。まるでおすもうさんのようだ。その上黄色で黒いテンテンのついたトラのパンツをはいていた。
「鬼は外〜!福は内〜!」
私は友達と一生懸命豆を投げた。
「・・・うわ〜・・・やめてくれー!」
鬼が叫んだのでみんな投げるのをやめた。
「バイバイ♪」
鬼は手をふって、教室を出た。私はホッとしてマメを食べた。
 幼稚園クラスの子供たちは鬼を見て泣いたみたいだ。ムリもない。三〜五才の小さな子供たちだ。目を真っ赤にしてずっとお母さんにくっついていた。小学部の一,二年クラスは鬼を一番本気にしていたようだ。「鬼は外〜!出ていけ!この鬼!」とガキ大将が叫んでいた。泣いてお母さんの所には行かないが、鬼をみるとまだ恐いようだった。豆の投げすぎでハァハァと汗びっしょりだ。「鬼め!いつでも来い!」とまだみんなノリノリだ。 三,四年のクラスは鬼をもうあまり信じていないようだった。鬼に向かって一生懸命豆を投げていたが、「ヘン!あんなインチキくさい鬼なんかに負けてたまるか!ウワッハッハッハッ!」とクレヨンしんちゃんのアクション仮面のように笑っている子供もいた。
 小学部五,六年のクラスの私たちはもう鬼なんてぜんぜん恐くな〜いと言いながら鬼が来るのを待った。
「おりこうじゃない子供はど〜こ〜だ〜ぁぁぁ!」
とまるで怪獣のように入ってきた鬼を見て私は一瞬恥ずかしくなった。トラのパンツがやけにまぶしかったからだ。
 どうして豆をまくと鬼を退治できるのだろう?お友達と一緒に先生に聞いてみると、先生は豆を食べながらこんな話をしてくださった。
 もともと「節分」というのは、立春・立夏・立秋・立冬のそれぞれの前日のことをいい、「季節を分ける日」という意味がある。その中で春の節分が一番大切な日と考えられていて、「節分=春の節分」の行事が残っているのだそうだ。節分の日には「福は内、鬼は外」と言いながら炒った大豆をまく。この豆まきの行事は、七百六年(慶雲三年)・文式天皇の時に始まった。疫気などを持ってくる悪い鬼を追い払う行事からきている。新しく春を迎える前に、悪いものを全て追い払うためにの行事が行なわれるようになった。昔の人は、病気は全て鬼のしわざと考えていた。そこで、悪いことをする鬼が来ないようにとの願いを込めて豆をまくようになったそうだ。炒った豆をまくようになったのには、こんな昔話がある。
 昔、山に鬼が住んでいて冬になると人間の子供を食べに山を下りて来ていた。これを見かねた神様が鬼に豆を与え、
「この豆に芽が出たら人間を食べても良いが、芽が出なかったら食べてはいけない。」
と言った。この豆は炒ってあったので芽は出ず、その年に鬼は人間を食べることはできなかった。そして神様は人々に、
「冬になったらよく炒った豆をまくように。芽が出ない豆を見ると鬼は逃げていくから。」
と教えた。それから今のように、節分になると豆をまくようになったのだそうだ。
 へー、なるほど。節分にはそういう秘密があったのか。私は小さい時から、なぜ豆をまくんだ?豆は食べ物だから放り投げてはいけないはずなのに。なぜ豆の代わりに氷とか木のかけらを投げないのだろう?と思っていた。だがこの話しを聞いてから全ての謎が解けた。それにしても鬼って正直なんだな。私が鬼だったら、きっと神様が言ったことを無視して人間を食いに村に行っていただろう。ハラがへってはいくさもできぬ、だ。もう一つ、分かったことがある。それは神様も時にはウソをつくということだ。しかしこれは村を守るためのウソだったから許してあげよう。うそも方便とはこのことだ。
 さて、みなさんは私たちの学校に現われた恐ろしい鬼(書き出しの結び)は誰だったと思いますか?
実はあの鬼。いつもの姿の・・・じゃなくて鬼に変装した私のお母さんだったのです。

   講評   yuu



 お話にリズムがあってとても良いですね。スラスラ読めるとはこのことです(笑)。一度読んだ文に不明瞭(ふめいりょう)なことがあると(←読んだはいいが意味がわからない〜!ということだね)読み手は何度も同じ文を行ったり来たりしなければなりませんね。そして、もっと大変なときは、読み終わった長い文章の意味が結局最後になって「なんだったの?」と分からなくなると、もう一度最初から読み直したりします(笑)。マリアちゃんもこんな経験ありますよね?
 たしかに、自分の読解力(読み取る力・理解する力)の問題も無視してはいけませんが、私はいつも「これは誰でも一回読んだだけでは理解できないよ。私だけじゃない!!」なんて、文章のせい(責任)にしてしまうのですが……(笑)
 読めば読むほど味わいのある、まさに、噛めば噛むほど味の出るスルメイカタイプのお話もありますので、一概(いちがい・一つにまとめてしまうこと)には言えないことですが、読み手に親切な文というものは自然に頭の中に入ってくるやさしい文章である気がしてなりません。
 難しい言葉を難しい言葉で脚色する技もこれからの作文作りの中には大事なことになってきますが、今日のお話のように、やさしい言葉をやさしく扱うことも大事な技術なのですね。
 「分かったこと」というキーワードを作文を書き出す前の構成メモの時点で大事に扱ってくれていることがよく分かりました。キーワードを中心にお話を考えてくれているマリアちゃんの努力もしっかり伝わってきていますからね!これからも自信をもって書きつづけてください!!

                         

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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