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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   日本を取り戻せ   ミニまろ

 「わー。アンタ傘持ってるぅ? 雨が超降ってるよ〜。洪水の前兆かも。(笑)」
この会話にあった“雨が超降ってる”とはどういう意味だろう。果たしてこのような言葉遣いで相手に通じるのだろうか。仮に相手が雨がどのくらい降っているのか見ていなかったとしたら、本当に意味が通るのだろうか。
 家族で旅行に行ったことを友達に話そうと思い、そこで見た海の景色についてまず話そうと考えた。
「それでね。すごーく広い海だったんだよ〜。」
「どのくらい??」
「もう空なんかよりずっと広い海。まるで青い宝石の山に来てるみたいだった。」
「へぇ〜!すごいねぇ!」
この会話では友達があまり追求しないので、話はこれであっけなく終わってしまったが、もしもその友達が根掘り葉掘り聞いてきたとなったら、グッとくるような表現がなかなか浮かばないものである。
「どんな風にきれいだったの?」
「魚はどんな風に泳いでいたの?? なかなか実感が浮かばないよぅ。」
……もうこっちまで大混乱である。では、表現など必要ないのだろうか。いや、うまい表現が会話にないと、あまり手ごたえがないのではなかろうか。そもそも表現にはどのような役割があるのだろうか。表現には修飾つまり言葉を飾る役割がある。例えば、「桜が散っている」という言葉に「はらはら」という表現を加えると、「はらはら桜が散っている」と、よりいっそう意味が深まってくるだろう。これが表現の働きだ。
 このように表現するということは、人間にとって話す言葉の支柱の役割、つまり言葉を支える役割をするのである。しかも、表現というものは日本語にとても富んでいるものだったのだ。したがって外国語にはあまり見当たらないものだったのだ。それだというのに、その日本語の特徴を、今の日本人はみんな壊してしまっているのである。何とかして日本語の特徴を取り戻し、美しい日本語をみなに広めようではないかと、私は考えている。日本語の真のすばらしさを知ってもらうために……。

   講評   nara


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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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