対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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親と子供と社会 うっちー
人間は他の人間と自由な関係のなかで生きているが、親子の関係だけは例外だ。しかし現代では、その親子という関係が「問題」化してきた。それは変化する社会のなかで親と子がおなじ経験を共有することが出来なくなったからだ。子供を育てる間、親は自分の経験を思い出し、子供を育てなくなってきた。社会が進歩し変化するかぎり、落差はうまれていく。このため、子供は親とちがった存在になり、緊張関係がうまれる。僕は、社会が変化していくのは、しかたないことなので、親子という関係がかわっても、社会が進歩していく方が良いと思う。その理由は2つある。
1つ目の理由は社会はここ数10年間でどんどん変わっているのでかえって変化しない方が変わっている。と僕は思うからだ。例えば、僕の大好きなゲームで考えると、20年前に発売が始まった任天堂の『ファミコン』は長い間世界中の大人・子供に愛されていたが、今では、年間1万台程度(このデータはファミコンだったのかスーファミだったのか覚えていないが)しか生産されていなく、残念なことに、もう今年の9月で生産がストップされるらしい。ファミリーコンピュターというのだから、昔は家族でやるものだったのだろうが、最近では、1人だけで楽しむ『ゲームボーイ』系のものも流行っていて、いつまでもみんなで『ファミコン』で遊んでいるという訳ではないようだ。(もちろん僕は両方好きなんだけれどね 笑) (体験)
2つ目の理由として、適応していかないとどうしても自分の殻にこもってしまいがちになるだからだ。昔、ほとんどの民衆が「天動説」を信じていた時代では、天動説=常識だったが、今では、その後の偉大な人達のおかげでほとんどの人が地球が動いていることを常識だと思っているようになった。時代変化に取り残されてしまうと、ただの「時代遅れ」でなくて、「非常識な人」などと呼ばれてしまうかも知れない。
確かに社会変化のなかで、「日本語がくるってきている」や、「美しい日本語が失われている」などと頻繁に言われている。しかし「美味しいものはいつか飽きるけど、不味いものはいつか慣れる」といった名言もあり、いずれには「今使われている日本語がとてもきれいだ。」といわれるような時代がくるのだろう。親子の関係もこの先その関係に慣れた人達によってひっぱて行かれて落ち着いていくだろう。
講評 jun
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