対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
小1から作文力を上達させれば、これからの入試は有利になる。
志望校別の対応ができる受験作文。作文の専科教育で40年の実績。

昨日945 今日133 合計6420
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   新説:微差のナルシズム論   クラシック

 人の本質の一つに、近親憎悪が有る。これをユダヤ人の思想家フロイトは「微差のナルシズム」とあらわしていた。これの中身を紐解いてみればつまり似たものに接するとき自分の存在意義が薄れるのを恐れる故に他人の個性をけなし自分の称えるという非常に汚らしい考え方であることが分かる。
 残念ながら、このような考え方は私や先人の体験にしても誰の胸にも眠っている。ことにこの考えの凶暴性は集団の中で最も強くなるのだ。これには、自分の考えを他人に伝え共感して欲しい或いは認めてもらいたいというエゴが見受けられ、実際に実行することによって結果的に個人の何倍もの凶暴性を示す糧になるのだ。集団内では誰かの悪口を言い合うのは気軽で楽しいと錯覚してしまう。実際に気軽で楽しいのだろうが、決して気軽という一言の下に片付けて良い問題ではない。この行動は、自分の存在意義やたくましさや人間的なすばらしさを認識したと思い込み実際には、自分の弱さや卑屈さ、汚さや存在意義を肯定しているのである。事実、本当に強い人間は他人の欠点など見えてもそうそう気にすることもないし、否定などしないのだ。人間は決して完璧では無いから、汚い部分や卑屈な部分があって当然なのである。それをあざとく見つけ、悪口を借りて如何に自分が完璧ですばらしい、マシな人間だと言う幻想を作り上げる人こそが俗物であり最も汚いのでは無かろうか? 我々は微差のナルシズムに寄りかかり幻想を作り出すべきでは無いのだ。
 この問題の改善点として、私の考え方を述べさせていただこう。我々は自分の至らなさを感じたとき、他人をけなし、自分を力のある人間だと思いたがる。先程も述べたが、これは結果的に自分の存在意義さえ否定する最も卑怯な逃げ手なのである。例え、自分の力の無さを実感し、駄目人間だと自分を否定しようが何だろうが、逃げ手を打つことが間違っているのだ。自分の存在意義は自分で見つけるしかない。逃げてではなく他の方法を挙げて
 結局、自分の存在理由を見つける過程は、恐らくどんな勉強よりもどんなスポーツよりも苦しいことだろう。過去の小説家に多く例とされる鬱病者は自分の存在意義が見つけられ無い人達である。鬱になった人間は、自ら命を絶つ場合も多い。しかし、鬱から帰り咲いた人間は少なくとも社会に自分の居場所と人の良い部分を見出した人間なのである。

   講評   jun


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)