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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   共通なもの   にわとり

 何ごとぞ花見る人の長刀花見に平素の身分・階層をもちこむのは野暮というものだ。桜の花は、日本民族のシンボルとして、大共同体意識の中核に置かれたが、現実の花見はついにそこまで至っていない。月見、花見、雪見といった集団的な観賞行為は、じつは、日本文化のなかでのコミュニケーションの方法でもある、といわなければなるまい。花見が最も庶民的なマス・レジャーであるのも故なしとしない。共通なものをみることは良いことだ。
 理由1は、共通なものをみると、コミュニケーションが成り立つからである。日本人は、トイレに行くにも何をするにも1人じゃない。わたしもけっこうそうだ。トイレに行くのも、移動教室の時も、いつも友達と一緒にいる。わたしにも、なんらかしら人と関わっていたい、という考えはある。(体験)だいたい友達と、というのが多い。これは、日本人特有のコミュニケーションかな?なんらかしらの形で、人と関わっていたい。と感じるのがわたしたち日本人なのだろうか?
 理由2は、あまり流れながらやると、駄目だからだ。流れながら、というのは、話し合いとかで「〜と、いう意見に賛成でいいですか?」「みんながいいなら、いいんじゃない?」と、全部、流れにそって、進めている。(この話は、わたしの6年生ときの実話です(笑))そういう風にやると、なにが駄目なのか、というと、コミュニケーションがぜんぜん、成り立たないからだ。心がつながらない。これでは、つまらないではないか。心をつながらせるためには、ちゃんと相手のことを考えて、自分の意見をしっかりもつということが、大事だと思う。
 確かに、共通なものをみることは大事だと思うが、会話も大事だと思う。「限られた人生で、大事なことは、「何をするか」ではなく「何をしないか」である。」という名言もあるように、会話よりも、みることのほうが、コミュニケーションが成り立つのではないかとわたしは思う。

   講評   jun


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