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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   人は二足歩行で(感)   うのた

 人は異常な加速進化のために自分より強い相手に狩られる事はほとんど無くなった。現代文明の中で生きる現代人にとって死とは、衰弱した精神が描く単純で強烈な恐怖の源である。しかしその場その場で必死に生死のゲームをする動物は死を不幸だとは思わない。死が目前にあるかわからない中、この危険なゲームの中でドラマを築くという濃密な時間の内にこそ正しい死が用意される(要約)。この文章を読むと私は少し恐ろしい感じがする。互いに殺し合い、その生死のスリルが必要だという意味にも見える。だとしたら賛成はしかねないのだが、一方、この文章は「明日が命日かも知れない」という警戒心を持てという事にも見える。私たちは死というものの存在を身近に置いたほうが良いかも知れない。
 理由として第一に、死の概念を身近に置かなければ死ぬ前の準備ができないのである。この文章ではこれを不幸だといっているのではないだろうか。動物は常に死ぬかもしれないという覚悟があるが、人間は動物のように、自分が今死ぬかもしれない事など普通考えない。しかし不意に死ぬ事はあるのである。覚悟の上での死ならば、決して不幸でないとは言えないが、不意の死に比べれば「やすらかな最後」と言えると思う。
 理由として第二に、死の存在を身近に置くことで死を防ぐ事が可能になるのではないだろうか。つまり、死を警戒することになるのである。極端な例を言うと、AがBから恋人を奪ったとする。そのBに食事に誘われる。豪勢な料理が並べられていたが、普通は何も考えず食べてしまうだろう。だが「死」というものを意識していたら、つまり「いつ誰に殺されるかわからない」という意識をその時に持っていたらどうだろう。「もしかすると…中に毒が入っているんじゃないか?Bはきっと自分に恨みがある。」という考えが浮かび上がるかもしれない。すると「ごめん、用事があるから帰る。」とか「席を交換しよう。」とか言い、命拾いができるのである。しかしこれはあまりにも酷すぎるし、ほとんどあり得ないかと思うが、確かに死に対する警戒心によって自分の命が助かる例であることは確かだと思う。人生の最後を迎える場所はとあるデータによると病院と診療所での死が約80パーセントらしい。それを聞くと、まあそんなものだろうと思うところだが、死ぬ場所が病院であるだけで、死の直接の原因が起こるのが病院であるとは限らない。普段ピンピンと元気で生活している中、急に倒れることがあるのである。
 と、以上の理由で毎日「明日死ぬかもしれない」と思って生きようと心掛けるのが良い、などとは言えない。やはり、いちいちそのようなことを気にしていると、逆に取り越し苦労の日々を送るだけで、とても苦痛である。確かに現代の人は他の動物と違い、死をさほど意識する必要はないのである。だが、人にも死がある以上、死を意識する事は大事ではないだろうか。別に毎日そんな事できるわけはないから、ときどきで十分だと思う。新聞の記事に交通事故の事があれば、それを見て、「なるほど、信号無視は絶対しちゃいけないな。」と認識し、「もし死んだら君が僕の代わりに…してくれ」などという会話があっても良いと思う。「上天気の日に、嵐のことなど考えてもみないのは、人間の弱点である。」という名言があるように、日常的で平和な日々に死をなかなか考えないのも人間の弱みではだいだろうか。

   講評   sugi

 動物は死を当たり前のものとして受け入れているけれど、人間だけが死とかけ離れたところで生活し、死を受け入れるためには宗教すら必要になってきたというのが主旨ですね。
 一つ目の理由は、よりよい生き方をするために、非常に大切なことだと思います。覚悟して安らかな死を迎えることも、もちろんそうですが、日々を惰性で過ごしていると死の間際に後悔しそうです。死を意識することによって、毎日悔いがないように生きるという効果があるのだね。
 二つ目の理由、これはおもしろい発想。死を意識しないで生きていると、自分の身を守ることも下手になるのだね。分かりやすいたとえ話を入れるというのも、読み手を納得させるためのいい方法です。
 「死を意識する=死を恐れる」という図式ではなく、「死を意識する=自分の生き方を見直す」という図式になれば、いい生き方につながりそうです。


 データ、名言を入れるのも慣れてきたね。進級テストはもちろん合格。おめでとう!

「明日が命日かも」
 →「命日」とは人の死んだ日に当たる毎月、毎年の日。
  ここは、「明日死ぬかも」でいいね。

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