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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   テレビより読書   ビーバー

 テレビが普及して、映画を見る人が少なくなったというのはほんとうだ。「視聴覚文化」が盛大におもむき、本を読む人が少なくなるだろう、というのは、どうもほんとうらしくない——ということは、およそ常識からも察せられるであろう。要するに本を読むときのほうが、読む側の自由が大きい、自分の意志や努力で決めることのできる範囲が広い、つまり態度が積極的だということになるだろう。(要約)
 僕にも似た話がある。映画を見ているときは、迫力のある大画面に感情をコントロールされてしまい、、人それぞれの感じ方がほぼ同じ風になって、自分だけの固有のオリジナリティーのある考え方がなかなか出来なくなってしまう。しかし、本を読んでいるときには、人それぞれなオリジナルな考え方が出てきて、考え方の自由という権利(?)が保障され、だんだん面白くなってきて、やめられなくなる。それに、語彙力もだんだん豊富になってくる。その二つに加えて、読書に夢中になり、満足できる。前に聞いた話だが、読書に夢中になりすぎた結果、電車で読み過ごしてしまった友達もいる。その三つのよい点で僕は読書をたくさんすることに賛成する。僕自身も読書が大好きである。
 もう一つある。四字熟語中のに「晴耕雨読」という熟語がある。晴れた日には畑を耕し、雨が降った日には本を読む。この熟語から察せられることは、昔から読書が学問として重んじられていたということだ。畑仕事と読書とを並列関係として扱うほど読書は尊重され大切にされていたということもだんだん分かってくる。今、発展途上国の子供達と同じように、昔の日本人は読書のできる生活がほしいと思っていた、という風に考えることもできる。つまり、昔の日本人にとって、書物および読書とは、知恵という宝の塊であり、知恵を生み出す最大のヒントでもあったのであろう。
 僕は、この話を読んで、読書は、本当に将来のためになり、本当に楽しい素晴らしいものだと改めて考えさせられた。「晴耕雨読」という風に本当に読書は人間にとって娯楽として正式にさらに完璧に成り立つべき大切なものである。そんな風に強く感じた。僕も、これからもっと読書を電車で読み過ごすほど好きになって行き、将来のことを考えながらたくさん読書をして知恵を持って将来に臨んでいきたいと思っている。(書き出しの結び)

   講評   jun


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