対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
小1から作文力を上達させれば、これからの入試は有利になる。
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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   「自分らしさ」を見つける鍵   ええり

  読書は、設備も要らず、どこかへ出かけるにも及ばず、相手と相談もせず、気の向くままにいつでもどこでもできる。しかも、老人子供、病人など、当方の体力はほとんど関係ない。好奇心の満足を広げてゆくこともできる読書の楽しみは無限だ。
  私は先週まで「五体不満足」という本を読んでいた。「五体不満足」の作者である乙武洋匡さんは手足がほぼない状態で生まれてきた世間ではいわゆる「障害者」と呼ばれている人だ。しかし、彼の本を読んでいくうちに「障害者とは何なのだろうか。」という疑問を持った。彼はまるでなんの障害もないかのようにバスケットボールや水泳などをして遊び、運動会でも徒競走に出場していた。私はこの新たな疑問についてどんどん考えていくうちに、彼は確かに障害者であるが、不便はあるものの、我々「健常者」とほとんど変わらない、という結論に達した。やはり知らない間に私達の中では障害者、健常者、という枠組みが自然とできてしまっているのである。しかし、私は乙武さんの本を読み、そういう風に見分けていた自分に気づくことができ、また、障害者という言葉の本当の意味を考えさせられた。ここで私は文章によってどれだけ相手に強い印象を与えることができるかを学んだ。
  日本語の本ではないが、最近「ボーン・コンフューズド」という本を読んだ。500ページの長い話だったが、アメリカで生まれ育ったインド人の女の子が高校生になり、文化的なギャップに気づくという話だった。彼女はアメリカにいると「インド人すぎる」けれど、インドにいると「もっとインド人になりたい」と思うらしい。このような事は私も同様である。たとえ生まれ育った国でもやはりだんだん大人になっていくうちにそのようなギャップはでてくるのである。こういう風に、自分が共感できるという話を見つける事によって楽しむ事もでき、そして勇気付けられる事もある。この本を読み、私は「オーディオ・ヴィジュアル」では表せない何かが読書にはあると思った。この本を元にしたどんなに上手く作られている映画であっても、私が始めてこの本を読み終わった時の説明できない感情、そして感動は味わえないだろう。
  テレビやコンピューターなど、テクノロジーが発達していく世の中では読書をする機会がだんだんなくなっていくように思える。それと同時に読書をする必要もなくなっていると思う人もいるが、本当にそうなのだろうか。人は最近「時間がない」などの理由で読書をしなくなってきている。しかし、読書に出会う事によって自分の無限の可能性を発見する事ができ、自分の言語をよりよく理解する事もできる。読書は人間の価値観や見解を変えられる程の影響力をもつものだ。そしてそれはやはり「自分」という人間らしさを見つける要因となってくるのだ。娯楽であると同時に勉強である、いつでもどこでもできる、体力は関係ない、「人間性」を見つけ出すことができる、こういう要素が組み合わさって「読書」というものが生まれてくるのであろう。
  読書は、設備も要らず、どこかへ出かけるにも及ばず、相手と相談もせず、気の向くままにいつでもどこでもできる。しかも、老人子供、病人など、当方の体力はほとんど関係ない。好奇心の満足を広げてゆくこともできる読書の楽しみは無限だ。
  私は先週まで「五体不満足」という本を読んでいた。「五体不満足」の作者である乙武洋匡さんは手足がほぼない状態で生まれてきた世間ではいわゆる「障害者」と呼ばれている人だ。しかし、彼の本を読んでいくうちに「障害者とは何なのだろうか。」という疑問を持った。彼はまるでなんの障害もないかのようにバスケットボールや水泳などをして遊び、運動会でも徒競走に出場していた。私はこの新たな疑問についてどんどん考えていくうちに、彼は確かに障害者であるが、不便はあるものの、我々「健常者」とほとんど変わらない、という結論に達した。やはり知らない間に私達の中では障害者、健常者、という枠組みが自然とできてしまっているのである。しかし、私は乙武さんの本を読み、そういう風に見分けていた自分に気づくことができ、また、障害者という言葉の本当の意味を考えさせられた。ここで私は文章によってどれだけ相手に強い印象を与えることができるかを学んだ。
  日本語の本ではないが、最近「ボーン・コンフューズド」という本を読んだ。500ページの長い話だったが、アメリカで生まれ育ったインド人の女の子が高校生になり、文化的なギャップに気づくという話だった。彼女はアメリカにいると「インド人すぎる」けれど、インドにいると「もっとインド人になりたい」と思うらしい。このような事は私も同様である。たとえ生まれ育った国でもやはりだんだん大人になっていくうちにそのようなギャップはでてくるのである。こういう風に、自分が共感できるという話を見つける事によって楽しむ事もでき、そして勇気付けられる事もある。この本を読み、私は「オーディオ・ヴィジュアル」では表せない何かが読書にはあると思った。この本を元にしたどんなに上手く作られている映画であっても、私が始めてこの本を読み終わった時の説明できない感情、そして感動は味わえないだろう。
  テレビやコンピューターなど、テクノロジーが発達していく世の中では読書をする機会がだんだんなくなっていくように思える。それと同時に読書をする必要もなくなっていると思う人もいるが、本当にそうなのだろうか。人は最近「時間がない」などの理由で読書をしなくなってきている。しかし、読書に出会う事によって自分の無限の可能性を発見する事ができ、自分の言語をよりよく理解する事もできる。読書は人間の価値観や見解を変えられる程の影響力をもつものだ。そしてそれはやはり「自分」という人間らしさを見つける要因となってくるのだ。娯楽であると同時に勉強である、いつでもどこでもできる、体力は関係ない、「人間性」を見つけ出すことができる、こういう要素が組み合わさって「読書」というものが生まれてくるのであろう。

   講評   siro


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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