交通、通信手段の発達によって、実質的に地球は狭くなってきた。国境を越えて地球規模で協力しあうことが必要な時代になっている。いま時代は、国際化時代から地球時代へと、移り変わりつつある。この変化に対応して、国家の枠組みにそった国際感覚だけでなく、より広い、地球市民としての意識が要請されるようになってきた。地球市民であるということは、人間であることと同様に地球上に生きる私たち一人ひとりを包みこむ、もっとも普遍的な定義だといえるかもしれない。
その地球市民を意識する第一の方法は、視野を日本から外に向けて、外国の身近さを、「国」という枠で捉えないことと思う。近年、情報通信技術の発達や、飛行機などの出現により、地球が狭く感じ、外国が近くなってきているのは前述されているとおりだが、私たちは未だ、それを「違う国へ行く」とみなしているのである。例えばプロ野球を行ったり、有名歌手がコンサートを開こうとするとき、韓国か沖縄か?と開催地を検討すると、沖縄のほうが遠いはずなのに、沖縄で行うようになる。
なぜ?確かに動員数を考えると仕方ないかもしれない。しかしそれが当てはまらないこともある。BoAなどは、韓国出身の歌手なのだから、韓国でコンサートを開いてみてもいいだろう。そもそも今年の1月からは、ついに韓国でも日本の音楽CDの販売が可能になった。それなら、韓国で曲の売れ行きが良い歌手は、試験的にでも向こうでの公演をしてみてはどうかと思う。しかしそこに立ちはだかるのが「国境」というものなのである。国が違うから都合が悪いという問題が出る。それなら、もっと外国を、訪れやすいものにしてはどうだろうか。
第二の方法は、外国の異なる文化や異教を理解し、受け入れあうことではないだろうか。正直なところ、私たちの思考回路からすれば、最近多発している自爆テロのようなものを行えば勇者として生まれ変わることができる旨のイスラム教は解せるものではない。アメリカの、品質は悪くてもたくさん食べられればいい考え方は、日本の食文化とは正反対である。しかし、イスラム教もアメリカの食文化も、それが正しく最良の道と信じて今日まで文化を作り上げてきたものであって、必ずしも私たちの思想が正しいものとは限らないのである。だからこそ認め合うことが肝心なのだ。
もし、自分たちの考えが正しいとしつこく主張するのなら、それは戦争になるのであって、それを避けるためにはお互いへの尊厳が非常に重要となる。もっと自分たちと違った考えに触れてみれば、自分たちの視界も広がるだろうし、次第に受け入れることもできると思う。
ジョン・レノンはかの名曲「IMAGINE」の歌詞の中に「Imagine there’s no countries. It isn’t hard to do.」という名言を残している。これを私なりに和訳すると「想像してみてよ。国の仕切りなんて何も無い。やってみれば、そんな難しいことじゃないよ」という感じだ。オノ・ヨーコさんが和訳した正式な日本語の歌詞や、普通の訳者がこの歌詞を和訳すると、It isn’t hard to do.の部分を「そんな難しいことではない」のようにしか訳されない。しかし私は小学校6年生のときにこの歌に出会ってから、この文の重要なのはto doという不定詞であって、「難しくない」と言い張る言葉ではない、と考え続けているのである。つまりジョン・レノンは、それこそ「戦争」という世界背景の下で、「地球市民」という考えをやってみてはどうだろうか、とこの歌で間接的に呼びかけていたのでは、と思うのである。もちろん私は彼がこの世を生きていたときに何と言っていたかは知らないので、彼がどのような思いを抱いてこの歌を作り、このような言葉を使ったかは何も分からない。しかし私は小学校6年生のときにこの歌と、裸の状態で出逢ったときに、そんなことをずっと考えていたのである。ジョン・レノンの言う通り、実行してみれば、国境などすぐに人々の頭から消え去るのではないだろうか。