対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
小学3・4年生
小学5・6年生
中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
自然の美 はなこ
美とは、本来、自然の造化による創造物の性質を言いあらわす言葉である。自然はその創造するすべてのものに、美という性質のほかは与えない。もとよりそれは、美という性質を与えようと自然が望んだ結果与えられた性質ではなく、自性としてそうなった性質である。たとえば、花はどんな種類の花でも同じ美という性質を持っている。そしてその美しさは、花が自然の造化によって生れたために、本質的にそなわっている性質なのである。それを私たちは美と呼ぶのだ。僕たちは自然がもともと持つ美というものに、もっと目を向けていくべきである。そのために考えられる方法は二つある。
第一の方法は、自然と積極的に触れ合うことだ。僕は学校のキャンプで二回猪苗代に行った。猪苗代では風呂がなく、食事も自分で作らなくてはいけなかった。そのために、非常に積極的に自然と触れ合うことが出来た。(体験)そのほかの場面でも、自然と触れ合い、美を感じることが出来る場面はたくさんあると思う。家から外を見るだけで美を感じることも出来るし、道に咲いている花を見て美を感じることも出来ると思う。
第二の方法は、美に順位をつけるような美術教育や美意識を考え直すことである。絵画などでは、金賞、銀賞などが作られ、それどころか、人間では、ミス○○、アイドル、ペットモデルなどが出てきている。現在では、美は見るものだけではなく、争うものにもなってしまっている。このような考え方を改める必要がある。
確かに、美を追求する芸術家の業績も価値のあるものである。しかし、私たちは自然の中に本質的にそなわった美をもっと観賞するべきである。美とは、自ら作るものではなくすでに存在するものである。
講評 nara
今は梅雨、あちこちにアジサイが美しく咲き誇っているね。一つとして同じ形のものはなく、同じ色のものもない。そして、どれも美しい。そういうものに私たち現代人は目を向ける心の余裕がなかったり、価値を見出せなくなったりしているのかもね。それは、自然の美が超越した性質を持っている、すなわち「はかりきれない」ことが原因ではないかと、思ったりもする。長文の「相対性の範囲内」にあるものは、「どっちが?」と比べることができるものね。優劣もつけやすい。つまり、ある種、わかりやすいともいえそうだ。
第1方法のような、「自然に触れ合う機会」を積極的に作らなければならないようになったことこそが、現代の悲劇(大げさか?)の始まりかもね。私たちがいかに自然から遠ざかり、相対化できないはずの自然を、相対化して見ようとしてきたか。ここに近代の驕りがあるのだろうな。
第2方法は、自然(本来の美)から遠ざかったからこそ構築できたシステムを、一度解体するということだね。ただでさえ、自然から遠ざかっているのに、「○○展」や「□□コンクール」となると、人工の美からも遠ざかり、空虚な権威と化しているケースも多い。シンプルな感動を得る場ではなくなっているのだね。
締めの自作名言が決まっているなぁ。「自ら作りだせる」と思っているところに、人間の驕りがあるのだね。
毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘
自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
|
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)
| |