対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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11月3週分 途中 ミュウ
世間で広まっている古典には、平安時代・文学の双璧、清少納言著「枕草子」と紫式部著「源氏物語」、明治時代の夏目漱石作「坊ちゃん」等が挙げられる。著作された時代は古い。しかし、内容は決して古くない。それが古典だ。昔も現代も普遍は変化しないのである。枕草子で例えると、「秋は夕暮れ」とい言葉のように、秋といえば夕暮れが一番。この感情は、今も昔も変わらない。著作された年代オンリーに当てはまる事柄は書かれていない。時代が変動していても「なるほど」と納得出来る。だから今現在も流行しているのだ。それが本来の古典である。しかし、古典は大事にしていくべきだ、という意見と、最近の物に目を向けるべきだ、という意見がある。どちらが大切なのだろうか。
確かに、古い物は大切である。古典とは、著作した年代が古いだけ。内容や喜怒哀楽の共通点は、変化していない。だから、古典から日本人の考え方が読み取れるのである。そのため、現在の日本人はそれら思案を大切にしていくべきなのだ。また、もし外国人に「日本文学ヲ紹介シテ下サーイ。」と声を掛けられたらどうするだろうか。紹介するならば、海外、世界へ流出している書物を紹介する方が望ましいだろう。しかも、過去に生きた日本人の見聞、経験、感想が描かれている随筆が良い。それら著述を1つ挙げると、鎌倉時代末期の兼好法師著「徒然草」が挙げられる。しかし、ここで日本語を話せる外国人に徒然草を紹介出来なかったら、現在の日本人として恥ではないだろうか。中学校の音楽の先生も、「日本の音楽を外国で紹介出来なかったら恥だ。」というように話していた。
このように、今からでも遅くないから、古典は大切にすべきである。
しかし、新しい品にも目を向けるべきだ。新鮮さを失わない作品が古典であり、今世間で流行りの作品が将来古典になる可能性があるのだ。初めて現世社会にデビューして古典になるわけがない。(途中)
講評 nara
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