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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   特許と社会の形態   クラシック

 欧米の所謂アメリカ式特許とは合理主義と実力主義という基礎以前に西洋的美学の集大成である。太古、ジャルコ、イェリモを中心とする肥沃な三角地帯で人が人としての歩みを始め、シュメール人の都市国家を経て、古バビロニア、ヒッタイト、エジプト、アッシリア、アケメネス朝ペルシア、ギリシアを筆頭とするポリス郡、アレクサンドロス大帝国、ローマ帝国、イスラム帝国、そしてイギリスへ。様々な王国、民族が興亡する過程において最終的に民主主義へと結びつく、西洋合理主義が誕生する基礎が築かれていった。そして、自然科学、哲学、音楽、芸術、彼らのあらゆる面での美学はこういった土壌を軸として常に練磨されていったのである。17世紀、アメリカに権利章典が、欧州に血の革命と権利宣言が生まれたのも、やはり、ギリシャのポリスの影を強く取り込んだローマ、そしてローマの文化を搾り取った欧州といった文化的背景を踏まえたものである。欧米にとって、結局社会とは、その仮初に組織や政府があったとしても、結局は個人を中心に回る社会なのだ。そこには、公平と自由の代償として、常に責任と自己主張が過激なまでに必要とされるのである。
 大して、日本の社会とは、常に所属するという概念を常に中心に据えつづけた社会なのだ。日本は、古来から現在に至るまで、いや、この現時点に至ってなお、強大な国に文化的にあるいは貿易の背景として隷属するという形で息をしている。かつて貴族が朝廷などをやって来た時代より、我々は常に大河を作る一滴の水に過ぎなかった。時の最高権力者でさえ、単なるパーツとして一つの形を成すことはなかった。これは、やがて戦国の世の到来と共にその長年培われた本質だけを内包するという形で身を隠したが、明治新政府の幕開けと共に、再び、今度はさらに露骨に見えるようになる。
 日本への特許という概念の輸入が日本にこうした形で根付いたのもこうしてみれば頷ける。即ち、日本における特許とは、常にその集団内での利益の如何が問われてきた物であり、個人という体系はその利益によって圧迫されつづけてきたのである。しかし、近年、日本社会が成熟するにつれ、こういった日本の集団主義的な面が少しづつ抹消されて行き、個人主義的な社会形態とは言えないし、また個人主義と言うにはあまりにも中途半端ではあるが、そういった側面が頭を擡げている。
 私は一つ、日本の強力で長所も短所もあり得る強力な力を知っている。わたしは先程、隷属という言葉を使ったが、ここには一つ間違いがあったのかもしれない。日本人は、常に先進国と共に歩んできた国である。それ故に、日本は植民地になど一度もなったことは無いにも関わらず、植民地主義的な強烈な劣等感というものを常に民族的特色として持っていたものである。平安の都の構造などは正にそういった劣等感の賜物で、日本の出来得る限り精一杯の背伸びであったのだ。しかし、決して我々は卑屈であり、先進国のあらゆる文化的精神的な面を取り入れてきたわけではなかった。というのも、日本人は常に吸収した文化をまるで自らの一部として変え得る力を持っていたからである。これは他の大陸の興亡を繰り返したあらゆる文化に可能性として備わっていたものであったが、日本のそれは他の文化が変容させるに辺り100年かかる物でもたったの10年で、しかも完璧にすることができたのだ。
 確かに、こういった民族的な癖とも言うべき特徴には悪しき面がこびり付いて離れない。明治新政府の鹿鳴館を代表とする上辺を着飾っただけの思い上がりにもつながるものであり、当時の日本の有様は宮沢賢治がイーハトヴに住まわせたかの裁判官の猫よろしく、程度の低さをわざわざ示すものに成り下がったという歴史的事実があった。しかし、私は、この明治政府のやり方を嘲笑いこそすれ、こういった特色を決して程度の低い物とは思わない。明治政府の失敗は、その複合された文化に対する基礎を完全に築くのではなく、 ただ体裁だけに拘ったという部分にあった。完全に土着した文化は決して笑われる程レヴェルの低い物にはなりえない。私は、ここに我々の民族的な特徴によって、しかし決して明治の轍を踏まぬように、ほんの少しづつではあるが変貌していく特許の形にも、社会構造の変化にも光明を垣間見る気がしてならないのだ。

   講評   nane

 これはちょっと苦労したね。
 特許という考えは、実はかなり西欧的なものかもしれない。ということは、特許という発想自体が、歴史的なものだと言うこともできる。Linuxなどのオープンソースの台頭に見られるように、知的所有権とは正反対の行き方も現実の力を持つようになった。
 特許権に関しては、それ自体がいいか悪いかという問題ではなく、今の社会でどういう考え方がより社会の発展に結び付くかということで考えるといい。マイクロソフトが欧州で独禁法違反に問われたように、現代では特許権が社会の進歩を妨げる役割を果たしていると考える人も多い。
 今回の文章は、長すぎる文があったので、減点になっていた。(笑)
 それから、密度を濃く書くことは大事だけど、文章全体のリズムの方がより大切。簡略に書くところと密度濃く書くところのメリハリをつけておくといいよ。それは、今度「文の長さのグラフ」で表示されている。
 ともあれ、合格おめでとう!!

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