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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   宗教戦争   ほり内

 昔、宗教は死への恐れを取り除き、信者の精神的な支えとなることを目的としていたと思う。しかし、中世、そして今日の宗教団体は、実世界の観点が、広まってしまったため、宗教同士がいざこざを起こして、宗教戦争に発展してしまった。そのために、宗教は本来の目的を失いつつあるのだと思う。民衆の精神的な支えになるはずの宗教が、逆に民衆を苦しめてしまうという結果を招いたのである。
 今日、プロテスタントとカトリック間の争いである、イングランドとアイルランド間で行なわれている北アイルランドを巡る紛争の様に、本来民衆の支えとなる宗教が、戦争という結果で、民衆に甚大な被害をもたらしているのは問題である。
 その原因は、今日の宗教が、対話などによる講和で戦争が解決できるという方法が不可能であることだと思う。宗教とは基本的に自分の宗教が絶対であるという事をまず頭においている。そのためにもし異教徒間で、妥協点が見つかったとしても、いや自分の宗教が正しくないとは言わせないという風にいわば「子どもの意地の張り合い」のような状態になってしまうのである。例えば、上で話した北アイルランド紛争は、一時期、イングランドとアイルランドで和平が結ばれかけたらしいが、アイルランド側の武装集団が、これは政治化の勝手な話し合いだと主張し、武装解除をしなかった。結局イングランド側もそれでは武力で決着をつけようといって、再び緊張状態になった。このように、どうしても、互いに自分が正しいと主張している。そのため、解決策が見つからない。これが宗教戦争が泥沼化する所以ではないだろうか。
 確かに、宗教の考え方は今日の私達でも通ずるところがあるかもしれない。しかし、宗教が、民衆の支えになるのではなく、民衆に恐怖を与えてしまっては、意味がないのである。

   講評   baba


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