対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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外見よりも内容を えあゆ
外見よりも内容を・・・。
文音
最近我々は、冷たい無機質の材料で囲まれた舞台装置のようなインテリアよりも、木や木綿のような素朴な材料で囲まれた泥臭さの中に、人間の持つ本質に気がついたのである。私は、外見よりも中身の方が大切であると考える。
その理由は第一に、物をきれいにしまいこんでしまうと、どんなものがどこにあるのかが分からなくなってしまうからだ。例えば、(もしかすると私だけが思っていることなのかもしれないが(笑))私は、部屋の整理整頓が全く出来ないのだが、両親に手伝ってもらって(とはいってもほとんど両親にしてもらっているのだが・・・)自分の部屋を片付ける。(物をきれいにしまいこむ)すると次の日は、必ずといっていいほど毎回、どこに何をしまったかを忘れてしまい、探している間に結局は元よりも部屋の中が汚くなり、足の踏み場もなくなってしまうくらいなのである。また私は、そういう風に部屋の中が乱れていると、きちんと整理整頓されているときよりもなぜか落ち着いている自分をおかしく感じることが出来るのである。
その理由は第二に、あまりにも周囲の環境が整いすぎていると、自分でも落ち着いて暮らしていくことが少し困難となるからである。もし、ある日突然家の近くにある植物が全て四角の形で一㎜のずれも許されないようなきれい過ぎる環境に自分が住むとしたら、誰であろうとなんだか落ち着かない気分になるのは当然のことである。また、データー集32のPHP(1998年)による「日本の年間ゴミ排出量」は、5020万トン。つまり東京ドームでたとえると、135杯分にも及んでいることが分かる。しかし、このようにゴミの溢れている社会の中では、このようにゴミの量が増えてもおかしくないであろうと私は思う。
確かに、外見を気にして、きれいにすることは、良いことである。しかし、どんなに外見が良かったとしても、自分自身がどれだけ気楽にすごすことが出来るような環境を保っていかが我々人間にとって一番必要なことなのである。また、「大事なのは健康らしい外見ではなく、健康そのものである。」という名言があるように、これをファッションに例えるとすると、たとえ外見がよくてもすぐに破れてしまうような衣服をわざわざ購入する人はいないであろう。これと同じようにやはり何事にも「外見」ではなく、肝心の「中身」を重視して我々はこれから生きていくべきであると私は考える。また、これから私は大きくなっていくにつれて、外見よりも内容で物事をすぐに判断することが出来るような大人になっていきたいと思う。しかし、私はそれよりも前に、少しくらいは部屋の片付けを真剣にしないといけないかもしれない。そしてそろそろ本当に外見を気にして、両親に迷惑をかけないようにしなければいけないと私は思う。(本当にそうできる日はいつ来るやら・・・。笑)
講評 hota
少し書き足したり、誤字を直したりして、良い清書になっていました。文音さんの、自分自身を客観的に見られるところがとてもいいと思います。
大寒波が来ていますが、負けずにがんばろう。
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