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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   悪いのだけが鬼じゃない!   スピカ☆

 私の学校では、毎年豆まきをする。これは私が一年生のときからある。この豆まきで自分の追い払いたい鬼を追い払う。  
 豆まきといっても、まくのは企画委員の人だけで、他の人は、企画委員の人がまいた豆を拾うだけだ。これは豆まきというより、まめ拾いだ。まいていると、どうしても拾っている私たちにあたってしまう。「なんだか私たちが追い払われているよう な気がする」
と私は思った。実際、
「鬼はー外、鬼はー外」
と言っているのだ。でも、これは私たちの中の悪い鬼を追い払っていたのだと思う。ちなみに、私が追い払った鬼は、「なまけ鬼」。でも本当に出て行ってくれたのかな・・・・・・。ちょっと心配。それに、鬼が出て行っていない人も結構いるようだ。私は無理やりでも、押し出したい。
 でも、
「毎年毎年豆を投げつけられる鬼も、かわいそうかもな」
と思ってしまうこともある。このまえ、「桃次郎の冒険」と言うミュージカル(テレビで)見た。そこでは、
「鬼は何もしていないのに、桃太郎が鬼を 殺して宝を取っていってしまった」
と言っている。たしかに、鬼の宝を取っていってしまった、という話はある。そして、
「鬼を殺して、宝を取っていくなんて、人 間のほうが醜いとこ ろがあるようだ」
ともいっている。これもたしかに、人間のほうが醜いところがあるようだ。鬼=人間の心のように見えてくる。(ただし、ここに出てくる鬼は心の優しい鬼や鬼の子ばかりだ)やっぱりかわいそうだ。でも、追い払わなくてはならない悪い鬼ももちろんいる。私でいう「なまけ鬼」だ。こういう鬼は、出て行ってくれなくては困る。でも、心の優しい鬼は、追い払いたくはない。 
 人間にとって節分とは、自分の悪い鬼を追い払うものだ。というか、自分の悪いところを直すというものだ。私もこの豆まきで「なまけ鬼」を追い払いたい。 

   講評   takeko

おお、これはおもしろい作文ですね。実際あったことに、一般化の問題を入れて、ほんとに作文がじょうずになりました。第1段落、ユーモアたっぷり!これはおかしい。オニのお面をかぶった人はいないのですか?次に『桃次郎の冒険』のエピソード。ここは「このまえ」から段落を別に。なるほど、そんなミュージカルがあったのですか。おもしろいですね。「鬼」というのは、なんなのでしょうか。スピカ☆さんのように、自分の中の「負」の部分、なおしたい部分と考えるのはとてもいいですね!そうすると、はらいたいという気持ちがよくわかります。一方、『桃次郎の冒険』の鬼は、「見知らぬ他人(他者)」ですよね。この劇は、今、宗教がちがったり、文化がちがったりすることで、おたがいに相手を「鬼」のように思って、戦争が起こったりしている。そのことに対する批判もあると思います。昔、第二次世界大戦でも、日本は、敵国アメリカ人のことを、「鬼畜(きちく)」と教えられていたそうですから。外の世界の鬼も、「内面」の鬼も、よく向かい合って、理解しあうというしんぼう強さが必要だと思います。(先生も「なまけ鬼」っぽいなあ。大人だから、ひどくさぼることはないけれど、ほんとうはのんびりしたい〜)

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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