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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   学問の本義と罠   クラシック

 我々現代人、とりわけ日本人は知識を学ぶという当たり前の秩序に即する根源的、そして本質的な意味合いを完全に見失っている。日本に意味合いを理解するに足るだけの基盤が無かったのではないだろう。戦国時代初頭、堺が半ば国家から独立した商業都市であった頃、庶民には3つ、学ばなければならない事があった。即ち、読み、書き、算盤である。一見チープに見えるこれらの学習は学問の本義を踏襲するどころか極めて忠実なのである。
 科学が物事の根本的な疑問の探求における実用性を排除した物だという考えはかつてよりあったが、それはむしろ忌み児に過ぎなかった。実際に広く世間一般に考えられ、普遍的な根源的な真理の在り方として故意に認識させられるようになるのは実は近代以降である。太古ヘレニズム時代においてはアルキメデス、ソクラテス、アリストテレス、彼らの知識はただ単に哲学に基く自分自身の練磨に終わっていたわけではない。彼らは科学者であり哲学者であり広義的な意味合いにおける知識人であった。彼らの学問は常に外部へと向けられ、一つの対象を吊り上げる為の指針となっていくという目標を持っていた。これが学問の本義である。孔子や孟子を代表とする儒家や墨家、道家といった思想家達は、さらに露骨であり、学問の指向性が強く結びついていく。何故ならば、彼らを保護していたのは常に国家であり、そしてそれが強いベクトルを結わえ付けるための動力となっていたからだ。学問の本義とは常に世捨て人に開かれる狭義的、非現実的なものではなく、むしろ反対に広義的であり、現実性と合理的な理想主義に基く極めて実用的な産物だったのである。そしていかなる国にあっても中世以前における学問とは常にこういった目的を失ってはならないものであったのだ。
 ただ日本においての原因とはそんな思想などとはほど遠いところにある。日本における学問というものは、常に輸入されてきたものに過ぎない。本来、実用性に基くべき学問が日本古来の文化や思想概念と結びついたものではないとすれば、実は学問がその意味を失っていたのは今に始まったわけではない。科学や数学という観点から言えば、こういったものが初めて日本史に垣間見えるのは江戸時代以降であり、他国にあまり寄ることなく産声をあげたこれらの学問は極めて本義的な役割を果たしていたと言える。しかし、当時の観点からすれば、それらは学問と称するに足るものではないとさえ認知されていた我々の言うところの豆知識程度にしか過ぎなかったに違いない。当時の学問の本流とは文学であった。とりわけ、平安時代における学問とは漢詩と中国語にのみその意味を体現され、狭義的などとさえ言えた代物ではなかった。そして日本にあって、学者とは忌み語を研究するような物好きにではなく、国際的なステータスを身につけた単なる一介のインテリと表することさえおこがましい者達に与えられてきた言葉であるのだ。
 開国以後、日本には近代的先進的な知識と共に西洋合理主義や、学問の本義に関する概念も輸入された。しかし、戦争に学問を主軸とする知識や映画や新聞などのメディアまでもが利用されたことで、日本の学問はその反省から現実と知識の探求を完全に切り離してしまった。そして学者達が自らの専攻分野を掘り下げ、他の分野からほぼ完全に隔絶したところで学問は脱し難い袋小路へと入ってしまったのである。西洋合理主義は少しづつ日本に染み渡っていったが、日本における学問のシステムはなかなか染み渡ることはできない。その知識を知ることができるのはごく一部の学生や学者であり、現実社会と結びつかないそれらの知識は一般の人々には理解し難ければ考えも及ばないものへと転じてしまった。それは複雑に絡み合い、もはやステータスにさえならない代物である。日本の学問が問題を解決し新たな日の目を見るためには、学問の指向性と目的に対する堅固な結び付きがどうしても必要になってくるだろう。

   講評   nane

 久しぶりの力作だったね。(笑)
 文章表現の上で、次の点に注意していこう。
(1)できるだけ平易な表現を心がけること。(難しい表現はもう充分使えるので)
(2)「……にすぎない」「……のみ」「完全に……」「絶対」などの表現は抑え気味に。(厳密性を欠くことがあるので)
 中学生の生徒が読んでも、すっと頭に入るぐらいの文章を目指していくといいよ。
 そのためには、主題を明確に絞ることが重要。それから、実例は、社会実例以外に体験実例も盛り込むようにしよう。抽象的なテーマのときほど、身近な実例で裏付けることがいい文章を書くコツになる。
 今回の長文は、シンプルに「社会に役立つ学問」ということで考えるといい。もちろんいつもそういうことを考えて研究ができるわけではないが、出発点として社会の役割を考えていくことは、今後ますます求められるようになる。
 歴史の実例は、これからも意識的に入れていこう。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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