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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   日本語の曖昧さ   ルル

和歌や俳句は日本人が淡白好みである事を証明していることになる。和歌や俳句のように短い文章は世界に類が少ない。何故このような短いものが生まれたかと考えると、その中には日本人の「細かいところは省略」してしまうという正確にあるのだろう。また、このような文学を生み出したのは主に女流作家だということも驚くべき事である。ヨーロッパの文学の歴史で400年ほど前の時代に女流作家の名前を見つけ出すのは困難であろう。しかし、日本では1000年ちかい昔でも女性は男性と肩を並べて名歌を読んでいた。このように和歌や俳句には女性の性格がよくでているのである。この和歌や俳句、実はよく似ていて、言葉の論理に背を向けているのである。これらは感覚的に全体を直感で把握する。かの松尾芭蕉が「言ひおほせて何かある」と言っている。「言いおおせない」ためには論理でも何でも犠牲にしなくてはならないのかもしれない。
確かに日本独自の文章である「俳句や和歌」は大切にするべきだし、言葉を尽くさない事は良い事だと思う。
 第一の理由は表現の自由である。例えば俳句や和歌などがそうだが、日本語には色々な表現がある。一つ一つに味があって、いろいろな表現が可能になる。例えば、映画のタイトルなんかがそうだ。アメリカの映画は「The〜」など割りと1単語で終わってしまっているのに対し、日本映画のタイトルは比較的長いものが多い。表現の幅が無限大なのだ。それは俳句でも同じことである。
柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺
この俳句にも様々な意味があって、たまたまこの言葉を使うと上手くいっただけで本当はもっとたくさんの言いかたがあったかもしれない。これが日本語の持つ表現の自由なのである。
 第二の理由は日本人にとって、いわない事がいう事であるからだ。つまり、日本人同士の会話というのは表面的なものではなく、つまり発した言葉が全てではないという事である。その言葉の裏にはその人の思いや気づいてほしい事があるとおもうからだ。例えばヨーロッパなどでは恋人同士の間で交わされる言葉と言うのはすこし大胆なものが多いかもしれない。しかしそれが日本人の場合直接的な言葉ではなく、少し間接的に言うことが多い。しかしその間接的な言葉の中にもその人の気づいてほしい思いがあるのだ。そう考えると日本語はとても面白い。
 しかしそのような曖昧な日本語ではこれからの社会のなかで自分の思いが伝わらないなといろいろな欠点があるのではないか。たしかにその点は日本語として直していかなくてはいけないところである。しかし曖昧だから、間接的だからこそ日本語はキレイだなと思えるのだと思う。だからこれからは日本語の良いところを残しながら、徐々に悪いところも改善していくと良いと思う。

   講評   nara


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