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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   自分を見つめなおすこと   ノンキィ

 日本人は、「謙譲の美徳」を好む性質がある。自分は出来ると内心自負している人「少しだけ出来る」といっておくのだ。また、日本人は対する人間の出方しだいで自分の位置や行動を決めるきらいがある。こうして考えると、つくづく二本には個人の秘めたる才能をできるだけ延ばさないようにする基盤があるのではないか。この問題を解決するためには自分で自分を褒めちぎり、何とか怠けている細胞をたたき起こすしかない。
 私は日本人の好む「不言実行」の精神は改めていったほうがいいと思う。そう思う理由は二つある。(複数の理由)
 まず、このようなことを日常的に行うことで、私たちは何か一種の心苦しさや息苦しさを感じてしまうからだ。もちろん私は心理学者でもカウンセラーなど、人間の心について専門的な知識は全く持っていないが、自分自身の体験から、そして身の回りの人の様子から、なんとなくそう感じる。そしてきっとそれは、たいていの日本人が感じていることと思う。ここで、私が思いついたケースを一つあげてみようと思う。仮にAさんがとても足の速い子供だったとする。そんなAさんは、来週の体育祭について、クラスメート皆にこういわれる。「Aは足が速いから絶対一番やな。」もしも私がAの立場にいるとすれば、100%こう答えるだろう。「そんなことないって。絶対そっち(相手)の方が速いで。」と。私にとってもはや習慣となっているこの受け答えの仕方が、少しずつ少しずつ、私の心の中に息苦しさを蓄積していくのだ。
 次に、この「謙譲の美徳」は私たち一人ひとりがお互いの足を引っ張ることになりかねないからだ。つまり、日本人の一見奥ゆかしいように見える不言実行の精神が、個人の個性を伸ばすことを妨げているのである。日本人は古代から、飛びぬけて何かに秀でている物事を好まない。その心が、不言実行の精神を生んだともいえるぐらいだ。しかし、そんな風に出るくいを打っていくだけでは、個人個人の個性を開花して挙げられないばかりか、それをするきっかけさえ奪うことになってしまう。最近、野球でもバスケットボールでも、海外へ渡ってプレーする選手が増えているという。サッカーでも、現在5人ほどが欧
州のチームでプレーしているそうだ。(データ)
 確かに、人と付き合っていく上で多少の気遣いや謙遜は必要である。それが人と会話するときの礼儀であり、それ自体が悪いことだとは思わない。しかし、それが「礼儀」の枠を超えてしまうと、先に私が述べたような結果を巻き起こしてしまうのだ。(反対意見への理解)
 「短所をなくす一番良い方法は、今ある長所を伸ばすことである。」という名言がある。つまり、これまでの日本に根付いてきた考え方、「皆の短所」をなくし、全員が同じレベルで、過不足なく育っていくのではなく、それぞれの人間にあふれる個性を伸ばしてあげる。それが、私たち日本人が成長するために、そして日本という国が大きく前進していくために、必要となってくるのだと思う。「不言不実行」ほどだめなものはない。だが、「有言不実行」と「不言実行」はおなじくらいの場所にあると思う。なぜなら、どちらも有言実行にははるかに及ばず、不言不実行よりはましであるからだ。自分自身が成長したいと考えるなら、まずは謙遜ばかりしている自分を見直すことからはじめることだ。それはなかなか容易なことではないかもしれない。しかし、本当に自分の長所を見出し、謙譲を美徳だと思う考えを改めることができたとき、私たちの目の前には無限大の可能性が広がっているのである。

   講評   nara

 今回の複数の理由は、心情的な面と能力的な面ということで、カラーの異なる内容でしっかり論じることができたね。それぞれが、納得のいく理由となっている。
 第1理由:早ければ小学校高学年くらいからこのような空気を感じるのだろうか。「少しずつ少しずつ息苦しくなる」という部分は実感がこもっているね。まさに、真綿で首をしめられているような感じだろうな。ある日突然「違う! ほんとはね……。」とぶちまけたくなってしまうかもしれないなぁ。こういう遣り取りはいつ身に付けるのだろうか? 中学生生活の中の息苦しさは、実は何かを投影しているのではないか。そう、大人の社会ね。(もちろん、青年特有のもののとらえ方などの特異性はあるにしても)
 第2理由:野球・サッカー・学術研究……すぐれた能力がなぜ海外に流出するのだろう? レベル差ということだけでなく、個性を認める姿勢ということも大きなポイントだろうね。生まれ育った環境の方が、いろいろな面で負担が少ないはずなのに、敢えて、海外へ活躍の場を移すのは、少ない負担以上に大きなデメリットが日本に存在しているから、と言えそうだ。
 「不言」は確かに日本人の好きな言葉だね。「語らずして云々」は、さまざまな分野に共通する日本人の特性だ。しかし、その日本的な個性がやらないこと・できないことの隠れ蓑になっているのかもしれないね。反対意見への理解から是非の主題の再提示まで、とても力強くまとめられた。今年度最後の作文、いいできだったね。

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 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

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