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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   時代の変化を受け入れる   グレープフルーツ

ラレルは、日本語の中で四つの役割を同時に果たす助動詞だ。しかし、十九世紀あたりから、私達日本人の中で「ら抜き」が問題になっている。ら抜きというのは、例えば「来られる」を「来れる」などと、本来は「られる」と書かなければならないのに、らを抜いて「れる」と書いてしまうことだ。文法学者達の間では日本語として正しくないなどとしてら抜きは重要な問題として受け止められている。それは、日本語の歴史に反しているからである。しかし、本当にそうであろうか。時代も変われば、人も変わる。人も変われば言葉だって変わる。だから私は、ら抜きは否定されるべきではなく、時代の変化とともにかわりゆく言語の変化として受け入れられるべきだと思う。
ら抜きのように、新しいものを受け入れることは大切である。新しいものを生かすことによって、世界をいい方向に変えることもできる。例えば、大昔ではランプなど炎が灯りの変わりになっていたが、エジソンが電気を開発したおかげで暮らしがどんなに便利になったことだろうか。電気も、もちろん使いすぎは良くない。ランプの明かりが人の心をなごませるという人もいる。しかし、電気がなければ、私達の暮らしはない。勉強をするとき、電気ではなくランプをつけていては危ない。調理の時も、最近ではガスは事故の原因になるため電気が使われている。マッチが無ければ火はつかないのに対し、電気はスイッチオンでつく。もちろん、電気の全てが良い事というわけではないが、電気という新しい発明を生かすことによって、私達の暮らしはとても豊かになった。
といっても、歴史を守ることももちろん大切である。いくら時代が変わっても、それぞれの文化の個性を守ることは大切だ。例えば、アジアの他の国に比べると英語力の低い日本だが、だからとって英語の言葉を無理やり日本語にしようというのはあまり良くない。日本では、ほとんどの人がカタカナ語の意味をわからないまま新聞などの文章を読んでいる。そういうのはあまり正しくないと思う。日本語を忘れてしまったら、私達は日本人ではなくなってしまうからだ。英語に慣れるのはよいことだが、その反面日本語が忘れさられてしまうのは良くない。
確かに、昔からあるものを無理やり変えようとするのは良くない。歴史やもともとある文化は、大切にしなければいけない。しかし、大切なことは、時代の変化に合ったものを見つけることだ。「知識がはしごを作ったのではなく、二階に上がりたいという熱意がはしごを作ったのだ。」という名言もあるように、昔からあるものが良い時代を作るのではなく、時代と共に変わる文化が私達の時代を作り、変えていくのである。

   講評   takeko

あっ!!書き換えましたね!!しかもとてもいいです。さすが!っていうか、うれしいです。名言もきいています。いい清書になりましたーーーー。

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