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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   「少年のころの桜は」の感想文 3段落目の初め修正   えにほ

作者は春の桜の花に因んだ日本語の表現をいろいろ振り返って綴っている。作者にとって、『桜前線』と云う言葉は風情に欠け、それに反して昔からの花便りの言葉、例えば『つぼみふくらむ』、『ちらほら咲き』、『八分咲き』、『散り始め』、『落花盛ん』、『散り果て』等の表しは微小感覚の表現に満ち風情に富んでいると云う。 そんな微小感覚の鑑賞を続け,桜の花びらが風に吹かれるでもなく、自然とその重みだけで枝を離れ地面に落ちる、その間の過程を的確に表現する言葉がないことに気づく作者である。その様子は作者が青年時代に信州で経験した、からまつの細やかな葉が自然と地面に落ちる状態と同じてある事を思い出す。作者はその感覚に合った表現を発見できていないことに改めて気づいた。未だ見つかっていない日本語の表現ではあるが、作者はその表現の可能性を日本語の表現力の深さに求めている。

『少年のころの桜は』の文章で気になったキーワードは作者がこだわる「微小感覚のもの」。 作者はこの「微小感覚」を二段落目に二回使っている。 作者の求めている表現は微小感覚を表し分けられるものである。

この作者の言語感覚のこだわりをよんで、以前に日本語と英語とでは話している人の視点が全く違うと云う事を読んでなるほどと頷いた事を思い出した。それはモントリオール大学で日本語を教えている言語学者の金谷武洋氏著書「英語にも主語はなかったー日本語文法から言語千年史へ」を読んだ時だった。金谷氏の解説によると、日本文学作品の翻訳において日本語の表現を英語に置き換える場合、翻訳者は意図的に訳しているイメージを英語的な世界観又はイメージに置き換えなければいけない。特に英語で的を得た翻訳にしようする時それは不可欠な作業になると云う。その世界観又はイメージの違いだが、金谷氏曰く、日本語は「虫の視点」からの表現で、英語は「神の視点」からの表現になると云う。 英語の「神の視点」では、表現しようとしている物から「遠く身を引き離して、上空から見下ろしている..そしてスナップ写真のように、瞬間的に事態を把握する」。その反対で、日本語の「虫の視点」は表現するものの中にあると云う。 つまり日本語は鑑賞している現象に入りこんでその感覚で表現する。この感覚は云うまでもなく俳句や和歌、茶道、華道にある日本人の美意識に通ずるものがあるのだろう。

正に作者のいやがる「桜前線」は「巨視的に、日本列島全体を見下ろすスケール」で英語的な「神の視点」にちかい。 80年代以来、国際社会、英語教育が重視され、また実際の商業取引に使われる日本語も的確な伝達が要になる実生活。 そんな中、日本人の間にも英語的、「神の視点」の感覚の影響が多くになってきているのかもしれない。 作者の言語的感覚はそれに反してか、「虫の視点」、微小感覚を表し分けられるものを追求している。

   講評   unagi

 <第1段落>的確な要約です。文章全体から重要な要素をまんべんなく取り出し、要旨もしっかりつかんでいます。
 <第2段落>次の段落の前置き
 <第3段落>体験実例「虫の視点」:文中の「巨視的(桜前線)」⇔「微小感覚」に焦点をあて、似た例を挙げました。「鑑賞している現象に入りこんで」というところは、まさに本文の著者の姿勢そのものですね。鋭い指摘です。さらに、「日本人の美意識」というところまで掘り下げて段落を結んでいます。
 <第4段落>一般化の主題:「日本語・・・実生活」と背景を説明し、「日本人の間にも・・・。」と分析することで、作者の意図に迫る最終段落です。手際よくまとめていると思います。
 

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