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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   痛みは誰にも分からない。   まなピー

 私の知っている痛みはただ私自身が感じるものとしてのものである。それを他人に移植する、つまり他人がそれを感じると創造することは実は不可能なのではないか。例えば、人が激痛でうずくまり冷や汗を流している。だが正直なところ私自身は少しも痛くない。痛くもかゆくもない。だが私は心痛する。自分から見ての他人、つまり他人の始まりである親兄弟を含めて自分以外の人間の痛みは分からないのだ。私は、最近人の痛みが分からない人が多いことに問題があるように思う。
 第一の原因として、自分自身が痛みを体験してないということが挙げられる。私は、一度骨折(正確には若木骨折だった)をしたことがある。小五のとき流行に敏感だった私は、今思うと本当にばかばかしい話だが、厚底サンダルを履いて一輪車に乗っていた。当時は厚底ブームで私も波に乗って履いていたわけだ。一輪車をするときくらいスニーカーを履けばいいもののきっと気に入っていたのだろう。案の定、こけた。しかもゴツゴツのアスファルトの上で。私は大げさに「痛い、痛い!」と泣き叫んだのだが、家族の誰一人として助けに来てくれなかったし(自業自得だから?)、怪我の手当てもしてくれなかった。しかもこけたとき手の付き方が悪かったらしく、私は左手首を痛めた。私はこれまで打撲すらしたことがなかったし、家族の誰も骨折などしたことがなかった故、どれだけ「痛い」と訴えても「打撲、打撲!」とシップをピタッと貼られるだけであった。そして一ヶ月、家族の者は「打撲!」と言い続け、私は信じ込まされていた。さすがに一ヶ月もたつのに痛いと訴える我が娘を見て母が「病院に行ってみようかしら。」とやっと口にした。病院へと足を運ぶと、私が医者に怒られた。打撲って言ったのは、両親なのに!!診断の結果は骨折だった。そしてギブスを取り付けてもらうとき、私の左手首はくねっと曲がっていた。もしこのまま放置し続けていたら、成長期ということも重なって一生曲がっていたかもしれなかったそうだ。この事件で相当両親は驚いたらしく、今ちょうど進行形で妹が足を骨折しているのだが、かなり神経質になっている(笑)。骨折の痛みを知らなかった両親は、私の痛みなど根本的に分かってなかったのだ。
 第二の原因として、快適すぎる生活を送っていることだ。痛みというのは何も、頭が痛いとかだけではない。心の痛みだって同じである。現代は科学が進歩し、人と人が接触する時間が減ってしまった。会話はパソコンやメールでできるし、買い物だって通販やらインターネットで済ますことができる。個人的に「嫌だなあ。」なんて思う人と付き合わなくても生きていくことのできる時代なのである。これでは生身のぶつかりあいなんてできやしない。世代、人種、意思などを越えて付き合っていくことで自分の痛みを知ることができたり、また相手の痛みも考えられる心のスペースができるのに。この快適な状況が痛みを理解できない鈍感な人間を作っていると言える。
 確かに、人の痛みの深さは計り知れない。私にとっては身のよじれるほどの激痛であっても、同じ痛みをなんとも思わない人だっているのだ。しかし、
「痛みは傷つけるものではなく、コミュニケーションの一つである」
というように、私は今後、人の痛みを理解することのできる人が増えることで、人と人との結びつきを良くする第一歩を踏み出せると思う。

   講評   huzi


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