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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   美階段   かちょうほさ

 美とは、本来自然の想像物の性質を言い表す言葉である。であるから、自然が存在し、造化をつづける限り、その性質は存在しつづける。そしてその本質は美醜の対立を超越したところにある。どんなものもありのままに美しい。それゆえ自然美は究極の美であり得るのだ。人間の作り出すものは、どうしても人間の煩悩に左右される。が故に、それらは醜との対立概念にとどまる。しかも、人間はそれらをしか視界に入れなくなった。自ら美の次元を低くする結果になったのだ。(要約)私たちは、このような状態から抜け出すべく、もっと自然美に目を向けるべきだ。
 その方法として、まず自然と触れ合う機会を増やすということがある。一日中部屋にこもって、人間の造形物ばかり見ていたのでは、自然美というものに触れることができない。しかし、今、外に出てみても、小川が流れているわけではないし、日が沈む様もマンションに隠れてしまっている。私の周りでも、これでもか、というほどマンションが建ち始めた。私の家の後ろの山も、もうずいぶん前に姿を変えた。それから今に至るまで、空き地があると、どんなところにでも建ててしまう。きれいさっぱり自然は淘汰されて行く。
 美術の授業に対して述べたいことがある。美術史を細かくテストするのは、やめていただきたい。それは、無意味なことであるからだ。そう思うから、私のそれは惨憺たる結果だった。だが、負け惜しみで言っているのではない。そんな暇があるなら、公園にでもつれていってほしい。美術というものは、本来、知識ではなく感動と感性によるものであるだろう。自然美に触れ、感性を磨くことのできるような授業にしたらどうか。これも一つの方法である。
 確かに、人間が美にたいする技術や知識を高め、より良いものを作り出すように鋭意努力することは必要なことである。しかし、その美、究極の美を持つ自然を見ようとせず、忘れてしまうなら、人間の美は果たしてどこに行くのだろうか。良く先を見失って、出口のない迷路にはまり込んだも同然だ。人間の創造は、新たなものを作り出すことではなく、ただひたすらに自然の美に近づいてゆく作業に過ぎない。と私は思うのである。

   講評   baba



<第一段落>
 簡潔な要約に続けて、当為の主題「もっと自然美に目を向けるべきだ」を提示しました。適切な論理展開です。

<第二段落>
 方法の一つ目として、「自然と触れ合う機会を増やす」ことを挙げました。
 自然の美は筆舌に尽くしがたい、神秘的ですね。私(ばば)は里山がまだ残る住宅街に住んでいますが、山に入ると、その美しさに圧倒されます。まるで絵に描いたような光景が広がっていて、カメラマンだったらすぐに写真という芸術品に仕立て上げてしまうだろうとさえ思います。
 しかし自然は日に日に変化し、その変化するということ自体がまた美でありますね。

<第三段落>
 方法の二つ目。美術という学科目に対しての意見とともに、「美術というものは、本来、知識ではなく感動と感性によるものである」と指摘。するどいです。
 それに対して「自然美に触れ、感性を磨くことのできるような授業」を提案しました。まさに同感です。

<第四段落>
 反対意見への理解として「美にたいする技術や知識を高め」ることの必要性を認めつつ、「しかし、その美、究極の美を持つ自然を見ようとせず、忘れてしまうなら、人間の美は果たしてどこに行くのだろうか」という根本的な問題提起をしました。これは重要です。
 「人間の創造は、新たなものを作り出すことではなく、ただひたすらに自然の美に近づいてゆく作業に過ぎない」ということばは名言に等しいですね。


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