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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   私的な意見   ポッター

私的な意見
                         ポッター
 日常あまり意識してないことばそのものの存在ということを、否応なしに意識させられてしまう状況は、詩によく出てくる。詩のことばは日常のことばと同じではない。そのため私たちはそこで一度立ち止まって、考えなくてはいけないということが起こってくる。つまりことばが不透明なものになってしまい、私たちがことばというものを改めて認識することになるのだ。形が非常によく似ているという意識を否応なしに持たされると、ことばについての非常に素朴な感覚として、語形が似ていると語の意味も似ているのではないかというふうな発想が働きはじめる。そこで、私は私的な意見も大切にしなければいけないと思う。
 理由の一つ目は、私的な意見がはいることによって、物事がわかりやすくなるからだ。
 私の学校の社会科の先生は、とても面白い人で、生徒達の人気者だ。年齢もまだ二十代後半(もしくは三十代前半?)という、そんなに(?)私たちと大きな差はない。なので、授業も私たちがわかりやすいように、現代のものに例えて説明してくれたり、教科書に載っていないことなどを面白おかしく話してくれたりと、授業を楽しくしてくれる。この間の歴史の授業のときも、源頼朝の顔写真を見て、
「不細工な顔だよなぁ〜、弟の義経の方が、何倍も格好良かったんだよ。」
ということを言ったり、
「モンゴルの歴史上有名な人物で、“チンギス・ハン”という人がいるんだけれど、それは源義経なのではないか、言われているんだよ。」
という話までしてくれた。(詳しい内容はまた後日・・・)それも、ただ本や教科書に書いてあることを話すだけでなく、自分の感想を入れて話したり、時には私たちに「・・・なんだけど、どう思う?」などと聞いてきたりもする。そうすることによって、誰がどんなことを考えているのかが解るのだ。
 教科書に載っていることをただ読んだりまとめたりするのは、自分一人でも出来る。しかし、教科書に載っていること以外を、またはそのことを詳しく調べる為には、他の資料も必要になるし、人に聞いたこと、その人の意見や自分の意見を採り入れるのは、なかなか一人ではやりにくい。自分の意見だって、詳しいことを聞かなければ思い浮かばないときもあるし、現在、その内容が大幅に削られている教科書の資料(文章)だけでは、物足りないこともある。その為、私的な意見も必要なのだ。
 二つ目の理由は、私的な意見はときとして「例え」や「比喩」という形になり、その人の考えや見方が解ってくるからだ。
 この「作文」を書くときによく用いられる「例え」や「比喩」は、人によって例え方が違う。空を流れる雲を見て、「アイスクリーム」と言う人もいれば、「とんがり帽子をかぶった小人」という人もいるだろう。わかりやすい例だと、月がそうである。日本人はクレーターの窪み具合を見て「兎」と例えるが?中国の人は「カニ」と例え、ヨーロッパの方では、「女性の横顔」とも例える。何故、同じモノでも例え方が違うのかはわからないが、最初に見て思いついた人が言ったことを、伝えていって、今に至るのだろう。例えられているものは違うけれど、違うからといって他のモノに見えないわけでもない。兎に例えられていても、見方を変えれば「なるほど、カニにも見える」ということもある。
 これは、別にモノに限らず、数学の計算式なども同じである。
 数学の計算式は一つだけではない。答えは一つ(もしくは二つ)だが、その答えに辿り着くまで、いくつかの計算をしなくてはならない。足す、引く、かける、割る…というように、この四つはどれか必ず使うのだ。でも、考え方が違えばその式の書き方も違う。例えば、「答えが四になる式をつくれ」という問題が出れば、「二+二」と書く人もいれば、「五−一」と書く人もいるだろう。もう少し難しくなると、
分数を使ったり小数を使ったりする人もいるかもしれない。でも、それも必ず「違う」というわけではなく、「確かに、このような考え方もあるのだなぁ」と言うことに繋がるのだ。
 確かに、私的な意見が入ることにより、物事が悪い方向に行ってしまったり、違う話にそれてしまうことがある。
 しかし、「知識がはしごを作ったのではなく、二階に上がりたいという熱意がはしごを作ったのだ」という名言があるように、自分が知っていることだけではなく、周りから聞いたことや自分の意見を採り入れることによって、さらに大きなものが出来上がっていくのだ。もっと良いものを作るためには、自分の意見、まわりの意見も、知識も大切だと思う。そうしていろんな意見を出して考えることによって、更に良い、大きいものができあがるのだと思う。私も、そういう私的な意見を大切にしていきたい。

   講評   inoko

 ポッターさん、こんにちは。今回は、なかなかイメージがわきにくかったようですね。実用的な表現も詩的な表現も、どちらも私たちの生活には必要なものです。それぞれが使われる場面を考えてみると、どちらがより重要かということはあまり問題ではないことがわかります。そのときに合わせて使い分けられるべきものであると思います。ただし、人によって詩的表現の上手下手はありますが……。
☆ 詩的な言葉が私的な意見になってしまったかな? と心配しましたが、詩的な言葉を、その人独特の表現、考え方ととらえての「私的な意見」であると判断しました。意見展開や結論もしっかり述べているのですが、私的な意見としたことで、最後のまとめが長文の言わんとしていることからややずれてしまったようです。今回の長文は、言葉をどのようにつかうかという問題がテーマですね。ポッターさんが実例としてあげたことで考えると、社会科の先生は、教科書を型どおりの言葉で教えるのではなく、自分の歴史に関する雑学を自分の言葉で語っているわけですね。二つ目の理由の比喩は、自分が感じたままに言葉にするということであり、詩的な表現とも言えます。この二つの実例をうまく結論につなげましょう。もう一度長文を読んでみてください。



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