対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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自分の意見を示す事 えよさ
日本人は、返事をするときに欧米人のように「はい」「いいえ」とはっきり答えるのでなく、曖昧に答える事が多い。それは日本人が態度を表す時に、その対象物に対してではなく、相手の心を察する文化を持っているからである。私たちはこのような文化の違いの中にあるのである。欧米の文化と比べると、日本の文化は曖昧ではっきりしないと言われるかもしれないが、私たちはこのような文化を大切にするべきである。
欧米人の答えをはっきりという文化は、日本の文化と比べると、わかりやすいといえるだろう。これは、欧米人が異なる民族や、文化と関わりながら生きている中で、自己主張をし、態度をはっきり表さなければ
いけないという社会の中から生まれた文化である。私がホームステイに行った時にも、このような文化の違いを強く感じた。ホストファーザーが私のためにかミソスープを作ってくれたときのことである。私より一つ年下のホストシスターは、それを見ただけで不快そうな顔をして、「食べたくない」と言い、食べない前からまずいと決め付けるのは失礼だ、と注意されて渋々食べると「まずい」とはっきり言って席を立ってしまった。私は自分の文化を否定されたようなこともショックだったが、それよりも「まずい」とはっきりと態度で表されたことの方がショックであった。確かに、嫌いなものを食べた時に不快な表情を見せたりする事はよくある。しかし、もし私がホストシスターの立場だったら、もっと曖昧な言葉を使っておいしくないことの意思を伝えただろう。このように欧米人の文化は私たちにとってははっきりとしすぎているかもしれないが、自分の意志を明確に示すことは、コミュニケーションの中では相手の気持ちがわかりやすい、というメリットがある。
それとは反対に、日本の文化は、自分の意見よりも相手の気持ちを考えた曖昧な意見を示し、それを察し合う文化である。これは、西欧人にとってはわかりにくくよそよそしいと感じられるだろうし、私たち日本人でさえも、察し合うことが窮屈だと感じる事もあるだろう。しかし、自分の意見だけでなく相手の心をも配慮した意見というのは、西欧の自分本位な考え方よりも、高度な文化といえるかもしれない。昔話の「浦島太郎」では、浦島太郎が亀を助けた時に、お礼をするといわれて、その先に何があるかも知らず、そのまま竜宮城に連れて行かれてしまい、帰ってきた時には玉手箱を開けておじいさんになってしまった。これは、相手の意見を求めたり、はっきりと自分の意志を示さない、日本人の特性をよく示している例であると思う。このように日本人の文化は「察し合い」の文化なのである。
確かに、自分の意見をはっきり示す事も大切であり、察し合うことも大切である。しかし、一番大切な事は、自分が異なる文化の中で生きている、ということを自覚することである。(総合化)多種多様な文化がある中で、それぞれ独自の文化を理解し、対応していくことが国際社会に生きる私たちにとって、最も必要とされていることではないだろうか。自分の意見とは、自分の考えでなく、その人間の文化的背景を映す鏡である。(名言)
講評 nane
書き出しの要約がうまい。内容をよく消化して書いているね。
ホームステイの体験は面白い。日本では自分の好き嫌いを主張するのは単なるわがままのように考えられるけど、欧米ではそういうことも含めて自分の意見を主張することが大事だと子供のころから教えられるのだろうね。異なる文化の人どうしが共存する環境では、そういう自己主張が明確でないと生きていけないのかもしれないね。
竜宮城の玉手箱の話は、うまく文章の中になじむように入れた。(笑)確かに、欧米的な発想では、わけのわからない箱をもらったら、まずそれがどういうものであるか確認しようとするだろうね。
結びの総合化もうまく書けた。互いに異なる文化に済んでいるという相互理解がこれからますます必要になる。名言の「自分の意見とは、自分の考えでなく、その人間の文化的背景を映す鏡である」もいい文だけど、この主題に合うようなものをもう一つ入れるといいかも。
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