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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   産業革命以来、機械は(感)   ポッター

 考えてみると我々の生活の大部分は、生物的嗜好でよいわるいを判断していることのほうが多い。だが従来の工学的立場では、そういうあいまいさは技術とは認められなかった。そこでなんとか数量的にあらわそうとするが、現在の技術の段階ではどうしても割り切れない部分が残ってしまう。その断層を埋める手段が、しばしば芸術の名のもとに、単なるカッコよさとすり換えられるおそれもあったのである。だが新しい生物学は、そうしたあいまいさに対して、一つの拠り所を示す可能性を持つようになった。そして同時に、数量的に割り切れるものだけが科学のすべてではない、ということも教えてくれるようになって来たのである。私は、現在の技術は進歩しすぎている、これ以上進歩しても仕方がないと思うのだ。
 理由の一つは、技術が進歩することによって、自然と触れあったり、自然の良さを感じることが出来なくなるからである。 
 以前にもこのようなことを書いたと思うが、今、技術が進歩しすぎて、だんだんと自然がなくなってきている。つまり、もともとある自然の良さがわからなくなってきている、ということもある。例として、シャーペンのことを挙げてみよう。
 シャーペン、いわゆるシャープペンシルは、様々な工夫がしてあり、とても便利な、日常生活に欠かせないものになっている。主に小学生高学年あたりから、高校、大学生と、若者向けに開発されているものが多い。例えば、Hi-uniの『uniアルファゲル』というシャーペン。このシャーペンは、持つ部分がやわらかいゲルグリップで出来ているため、あまり手首や肩が疲れないというものだ。また、別のメーカー、PILOTでは、『Dr,Grip』というシャーペンを出している。これは、ノックを押さなくても振れば芯が出てくるもので、とても便利なものである。
 私も、この「Dr.Grup」のシャーペンは好みで、いつも愛用している。私にとっての必需品だ。しかし、いくら便利だといっても、時々使いたくなくなることがある。その理由は自分でもよくわからないが、たまには鉛筆を使ってみたいとか、筆で字を買いてみたいと思ったりする。シャーペンだと芯の濃さや字の感じなどがいつも同じで、つまらないというのもあるかもしれない。それを考えると、『鉛筆は良いなぁ』と思う。鉛筆は木で出来ているから、自然の字が出てくる。しかし、シャーペンだと人工的な字になってしまう。もちろん、鉛筆は減りが早いし、毎回毎回削らなければいけないのは正直言って面倒だが、それも自然の良さなのだろう。これも、一種の「自然とのふれあい」であると思う。
 二つ目の理由は、技術が進歩しても、その完成品をどう使用するのかが、まだ『明らかになっていない』、もしくは、まだ『判らない』からだ。
 今現在、日本では技術がとても進歩していて、様々な機械やその成功作がでている。高圧蒸気で調理する電子レンジや、ナノテクで栄養分や美味しさを保存する冷蔵庫等がそうだ。ただ、この技術は私たち一般人も、普段の生活で使用することができる。問題は、「使い道がわからない物」のほうだ。
 その主な例が、本田技研工業株式会社が開発した、小型ヒューマノイド型ロボット、「ASIMO」であると私は思う。以前は二足歩行でゆっくり歩くだけだったが、今は二足走行も出来るようになり、更には宣伝にも出るようになって来ている。これを見ると、「あぁ、進歩したなぁ」と感心するが、それと同時に、「このロボットは何に使うのだろう?何の役に立つのだろう?」と疑問に思う。
 ネットのホームページなどで調べてみると、なるほど、ASIMOに関しては、とても多くのことが書かれている。その中でも私が最も気になったのは、ホンダ関係者のコメントで、ASIMOは「あくまでもホームユースを前提したものを考えている」というところだ。「ホームユース」、いわゆる、「家庭で使える」物のことをいう。それを考えると、この関係者が言っていることは、「ASIMOを家庭で使う」ということになる。しかし、「家庭で使う」とは言っても、ヒューマノイドロボットを使えるような家庭が、何処にあるというのだろう。
 普通のマンションやアパートに置いても、範囲が狭くなったり邪魔になったりするだけだし、古い木造建築の家に置いたって、つり合う筈がない。大金持ちで、大きな家に住んでいる人なら買うことも可能だが、買っても使い道がないと思う。結局は、自分が今まで使っていた物に囲まれて暮らすほうが、最適なのだろう。自分にとって必要なもの、自分が使えるものがあれば、それで良いのだと思う。
 確かに、技術が進歩することは、便利になったり、生活が楽になったりと、良いことがある。しかし、そのせいで、自然がなくなったり、自分に必要な物がわからくなったりしてしまうこともあるのだ。「子供は大人を小さくしたものではなく、それ独自の価値を持っている」という名言があるように、たとえどんなに技術が進歩しても、自分にとっては「こっちの方が好き」というものもある。それは、他の誰にも変えることのできない、自己評価だ。自分にとって、「本当に大切なもの」というのは、自分にしかわからない。自分が絶対に失いたくないものは、いつも一番に考える。それが、重要なことだと思う。

   講評   inoko

 ポッターさん、こんにちは。めざましい科学技術の進歩。人間の向上心はとどまることを知らず、もっと前へもっと前へと進み続けています。しかし、ここまで人間の暮らしが便利になると、これ以上はもう必要ないのではと思うのも事実です。人間にとっては便利であったとしても、地球には人間以外の生物もいるのですから、人間だけのことを考えた進歩というのは、やや傲慢とも言えるかもしれません。
☆ 今回は、最先端の製品についての記述が多いので、5年後ぐらいに読みかえしてみると、かなりおもしろいかもしれませんね。そのころは、どんな世の中になっているのでしょう。鉛筆は自然な字で、シャーペンは人工的な字というのが、なかなかおもしろい。身近な生活用品から、最先端のASIMOに至るまで、この長文から考えさせられることは、とてもたくさんあるのだと、改めて感じました。


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