対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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本質的な問題に(感) ポッター
子供が本能や動くときに、早くから、親がきちんと教育面で、子供の時間というものを躾として教えるわけだ。最初はわめこうが叫ぼうが、許してもらえない。こうして、我慢することや、自分の立場を自覚する。そういう日常生活を通じて、どんなに親しくても、それぞれの立場があるということを、躾として覚えていく。日々の小さな出来事で、何でもないようなことけれど、そういうことの積み重ねにより、判断力の一端が育つと思うのだ。それを育てることが、家庭内の本当の愛情といえる。この教育が大事なのである。(要約)
私はこの要約の内容と同じく、幼い頃からそれなりに基本的な躾をすることと、それなりの愛情を与える事は、大切だと思う。(是非の主題)
理由の一つ目は、基本的な躾がなされていなければ、子供がいつ、どこで何をするのかがわからないからだ。まだ幼い子供は、「何をしなければいけないのか」「どこに行ってはいけないのか」ということの判断が自分でつけられないために、大変な事件を巻き起こす事がある。実は、私もその一人なのだ。
保育園の年中のとき、友達と二人で保育園を抜け出してしまったことがある。私自身、詳しいことまでは覚えていないが、母親から、よく聞かされる話だ。おそらく、いつも同じ遊びをしていて、つまらなくなったことが原因だろうと考えられる。とにかく、気付かれないように園内からを抜け出し、その友達の家で日が落ちる時間まで遊んでいたらしい。
もう夜とも言える時間帯になってから、保育園の先生から電話がかかってきて、私は保育園に戻った。帰って来た時、門のところで先生と母が顔面蒼白で待っていたのを覚えている。その後、母と先生、両方に代わる代わる叱られた。涙を流しながら、凄い迫力で怒られたことが印象に残っている。当時、私自身はまだ子供だったため、何故叱られるのか、何故大人達が泣いているのかは判らなかっただろう。今思うと、「それほど心配してくれていたんだなぁ」と、感謝と謝罪の気持ちで一杯になる。
確かに、その頃の私には、まだ善悪の区別がつかなかった。だが、それは幼児が自己判断で出せるような解答なのだろうか。もちろん、答えは「否」である。まだ幼く、まして幼稚園や保育園などの園児に、そんな判断力があるわけがない。しかし、だからこそ、親が「こういうことはしていいが、こういうことはしてはいけない」ということを子供に教える事、“躾”が大切なのではないのだろうか。(複数の理由1)
理由の二つ目は、幼いころから育児放棄、愛情や躾をきちんとしていないと、将来大変なことになると思うからだ。
「躾イコール愛情」。これは、よく言われる。子供に“愛”を教える、与えるためには、まず躾をしなくてはならない。これは、その子供が将来大人になったとき、社会に出て恥ずかしくないように、ということも含まれている。だが、もちろんそれだけではない。大人からの教育、躾には、計り知れないほどの愛がある。まだ幼い子には判らないだろうが、小学校の高学年あたりになってくれば、薄々と感づいてくるだろう。中学生になると、大半の人は気付くと思う。それは、クラスの中で、問題を起こす生徒が出てくることが引き金である。
中学校では、クラスの中で数人、授業に集中しなかったり、何かしら問題を起こす生徒がいる。特に、私の教室ではそのような人が全体の約五○パーセントを占めるので、授業が成り立たないことが頻繁にある。しかし、その問題児の大半は、両親が共働きで、学校から帰宅しても誰もいないとか、兄弟(または姉妹)と一緒という家庭で育つ人たちなのだ。それも、家庭の事情にもよるが、親が子供の就寝時間が過ぎたあたりに帰って来て、起床時間前に仕事場に出掛けてしまう、という例が極めて多い。これでは、子供が他の大人達に反抗して、問題を起こしてしまうのも当然だ。もちろん、親の“愛情ある躾”が足りないのである。
しかし、それは躾を「しない」のではなく、「できない」のであると私は思う。今は昔と違い、女性も社会に出て働くことが出来る。結婚をして子供を出産しても、暫く休んでから、また仕事の場に出られるようになるのだ。しかし、その反面で、前の例で言ったような家庭が多くなってしまった。子供の起床、就寝時間と、親の通勤、帰宅時間が合わず、いつもすれ違い生活のようになってしまっている。それが幼い頃から、一種の「習慣」として身に付いてしまうと、なかなか拭うことが出来なくなるのである。その習慣がきっかけで、非行に走ったり、犯罪に手を染めてしまったりする若者も多くはない。これは、親の愛情と、その躾が非常に足りないからである。
幼いころから好きなように育てられ、愛情をあまり与えられなかった人間を、私は可哀想だと思う。もちろん、それでもしっかりと勉強をして学問を身に付け、社会に出世したり、世界に羽ばたいたりする人達もいる。だが、それはほんの百分の一近い確率であると考えられる。少し確率が低すぎる気がすれば、八十でも五十でもよいだろう。ただ、全ての人が立派に飛び立つことが出来ないのは、確かである。その中の何人か、いや、何十人かは、別の道へと行ってしまう。決めつけるわけではないが、社会に出る人と比較してみると、そのような確率が高いということだ。そんなことにならないためにも、親に限らず、先生や祖父母など、大人の躾、愛情が大切なのだと思う。(複数の理由2)
確かに、厳しすぎる躾は子供の夢を奪ってしまい、注ぎすぎた愛情は子供が大人になるときの障害になってしまう。しかし、「多すぎる休息は、少なすぎる休息と同じように疲れさせる」という名言があるように、厳しくしすぎず、甘えさせすぎずの状態が、ベストなのだ。幼い頃からの成長に合った躾、また、それに合った愛情の注ぎ具合が、いつか立派な人間に育て上げるのではないかと思う。(反対意見への理解)(名言の利用)
講評 inoko
ポッターさん、こんにちは。日本の出生率は下がる一方で、このまま進むとお年寄りだけの国になってしまうという笑えない現実があります。少子高齢化の時代は、言い換えれば子どもに甘い時代であるとも言えます。物質的に豊かになることと引き替えに、子どもの心を育てるということがないがしろにされているとも思えます。子どもを育てるということは、日本の未来を育てることにつながります。人間として恥ずかしくない躾をすることは、日本の将来につながるのだということを心に留めておくべきだと私は考えます。
☆ すべての原因が躾にあるとは言えませんが、ポッターさんの意見に賛成です。中学生になって、より広い視点で物事を見ることができるようになりましたね。頼もしい!
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