対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
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真の個人主義 ルフィ
元来、日本では「個人」という概念は特になかった。私は、現代日本で、真の個人主義が根付いていないことは問題であると思う。
そして、その原因として考えられることに、世間に守られるような人間、という人たちが現れてきていることがある。例として、学校というものを挙げてみよう。学業が、本来学生の仕事とされてきたが、現在の世の中では、どんなに成績が悪くても、一応高校までは進学できる。実際、私のも周りにもそのような人はたくさんおり、それを、あたかも自身の力で行ったように振舞っている。しかし、実際は世間の「皆がそうするから」という感情に守られているだけに過ぎないのだ。つまり、世間には、個人として生きているつもりで、実は周りに生かしてもらっている人々が、少なくないのだ。そして、彼らの存在がある限り、もしくは日本の共同体主義的な考えを捨て去らなければ、個人主義は得られない。
また、宗教の在り方における、西洋と日本の違いも原因に挙げられる。つまり、日本には八百万の神が代表するように、これといった唯一無二なものがないため、今日のような共同体を形成しているのではないか。これは、自然界における肉食、草食動物の違いにも見られる。すなわち、肉食獣というものは、たいていの動物は単独、もしくはリーダーを伴った狩を行う。しかし、草食動物はシマウマなどに代表されるよう、群れで行動し、敵が来たのを誰かが発見したとたんに一斉に逃げ出す。そこには絶対的なリーダーという者はなく、ただ周りの行動に自分も合わせているだけに過ぎないのだ。このように、絶対的なものが存在しなかったことも、個人主義が根付かない現代日本を構築するのに一役買っていたわけである。
確かに、世間という一まとまりの集団の中で、生きるのも悪くないかもしれない。しかし、やはり私は私であるという自覚をもって、毎日を過ごしたい。「あたりまえにあたえられているものこそ、なくしたことに気がつきにくいのだ。」先日、「自由とは、不断に行使することによって自由であらしめる。」という趣旨の文章を読んだ。私も、不断に自分であるということを意識に置きながら、生きて生きたいと思う。
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