対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
小1から作文力を上達させれば、これからの入試は有利になる。
志望校別の対応ができる受験作文。作文の専科教育で40年の実績。

昨日2259 今日645 合計5517
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   真の個人主義   ルフィ

 元来、日本では「個人」という概念は特になかった。私は、現代日本で、真の個人主義が根付いていないことは問題であると思う。
 そして、その原因として考えられることに、世間に守られるような人間、という人たちが現れてきていることがある。例として、学校というものを挙げてみよう。学業が、本来学生の仕事とされてきたが、現在の世の中では、どんなに成績が悪くても、一応高校までは進学できる。実際、私のも周りにもそのような人はたくさんおり、それを、あたかも自身の力で行ったように振舞っている。しかし、実際は世間の「皆がそうするから」という感情に守られているだけに過ぎないのだ。つまり、世間には、個人として生きているつもりで、実は周りに生かしてもらっている人々が、少なくないのだ。そして、彼らの存在がある限り、もしくは日本の共同体主義的な考えを捨て去らなければ、個人主義は得られない。
 また、宗教の在り方における、西洋と日本の違いも原因に挙げられる。つまり、日本には八百万の神が代表するように、これといった唯一無二なものがないため、今日のような共同体を形成しているのではないか。これは、自然界における肉食、草食動物の違いにも見られる。すなわち、肉食獣というものは、たいていの動物は単独、もしくはリーダーを伴った狩を行う。しかし、草食動物はシマウマなどに代表されるよう、群れで行動し、敵が来たのを誰かが発見したとたんに一斉に逃げ出す。そこには絶対的なリーダーという者はなく、ただ周りの行動に自分も合わせているだけに過ぎないのだ。このように、絶対的なものが存在しなかったことも、個人主義が根付かない現代日本を構築するのに一役買っていたわけである。
 確かに、世間という一まとまりの集団の中で、生きるのも悪くないかもしれない。しかし、やはり私は私であるという自覚をもって、毎日を過ごしたい。「あたりまえにあたえられているものこそ、なくしたことに気がつきにくいのだ。」先日、「自由とは、不断に行使することによって自由であらしめる。」という趣旨の文章を読んだ。私も、不断に自分であるということを意識に置きながら、生きて生きたいと思う。

   講評   kira

 ルフィくん、こんにちは。個人主義は「自由」の問題に関わってくるんだね。真の自由とはどんなものだろう。あらためて考えると、(個人主観ですが)沸いてくるイメージは真空のような、非日常なものになるなあ。イデオロギーというものを日本語の中で根付かせたいね。


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)