対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
小1から作文力を上達させれば、これからの入試は有利になる。
志望校別の対応ができる受験作文。作文の専科教育で40年の実績。

昨日2126 今日1256 合計8254
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

小学1・2年生   小学3・4年生   小学5・6年生   中学1・2・3年生   高校1・2・3年生

   違和感   ルフィ

 シェイクスピアの劇は、近代の合理主義から言えばあまりにも粗雑にできている。そこで作者のメッセージを読み取ることはできないし、そこから何かを受け取ることもできない。だが、彼は何かを与えようとしているのではなく、一つの世界に私たちを招きいれようとしているのだ。ちょうど、宗教的な秘儀がそれを見る人たちをある世界へ引きずり込むのが目的だったように。だが、このように演劇により他と、宗教により自然と一体感を得る、という行為は、単に一種の逃避に過ぎないのである。だからこそ、その一体感がまやかしであると自覚すること、つまり違和感を持ち続けることが必要なのだ。
 そして、その幻影によって絶望感に教われないための対策の一つとして、近代の合理主義に変わる物を探す、と言うのがある。つまり、何でも数字で置き換えられ、理解できるといった考え方を捨て、あえてグレーなものを容認する、ということだ。分かりやすくするため、具体例を挙げると、チームとしての戦力、などが挙げられようか。例えば、バスケットは5人でやるスポーツだが、チームにおけるトータルの戦力とは、無論1×5=5、というわけではない。1+1ですら、無限や、下手をすると2にすらならない可能性を持っている。先日、私が所属するチームでバスケットの試合があった。しかし、結果は惜敗。先生曰く、個々の能力では、うちに分があったが、全くかみあっていないとのことだった。つまり、能力値の合計的には勝っていたとしても、覆ってしまうことが多々ありえるのだ。このように、全てを数値に置き換えようとするとどうしても無理が出てしまう。と、同様に、逃避やまやかしを現実と認識しようとするとどこかでねじれができてしまうのだ。だからこそ、理解できない範疇の物をも黙認しなくてはならないときがあることを、留意するべきである。
 また、東洋的な思想方法に活路を見出す、と言った対策も立てられる。ここでいう東洋的な思想方法とは、個々をばらばらにしておくのではなく、すでに一個単位として捕らえる、と言う物である。これまた分かりにくいので、具体例を見ていきたい(笑)。それは、雪舟の絵などによく表されている。彼の絵は、1400年ごろの風景画にもかかわらず、近代の画家よろしく、余計な物を全て省き、デフォルメした形で描かれている。普通の画家ならば、人なら人、山なら山が際立つように描かれており、それらが寄り集まって全体を形成している。しかし、彼の絵はまず全体のイメージが見え、それから「もともとは山だった」何か、などが見えてくる。つまり、パーツが主題を形成するのではなく、主題がパーツを必要としている状態なのだ。同じようなことが、東洋文化では随所に見ることができる。身近な例で言えば、多数決の際におこる「どうせこれでしょ」的な雰囲気などがそうか(笑)。もし、このような思案方法を身につかることができたならば、それは逆に違和感なく一体感を得ることへとつながるのである。
 確かに演劇的なものの中に安心感を求めていくのも理解できなくはない。しかし、それによって得られる物はあくまでもごまかしに過ぎないのだ。「痛み止めを使い続けるよりも、私は痛みとともに生きて生きたい。」痛み止めは、一時的にしかその苦痛を抜いてはくれず、さらに下手をすると己が身を傷つける恐れがある。ならば、その存在を認め、そこに苦難が満ちていようとも、私は茨の道を進んでいこう。と言う意味の、私が即興で作った言葉である(笑)。同じように、見掛け倒しの一体感なんて、私は欲しくない。
 「『人類最大のトリックを知っているかい。』『え?』『人に神がいると思わせたことさ。』」作家であり大学の助教授である森博氏の、ある作品に出てくる言葉である。私たちが神の存在を認めたがるのも、この安心感を求めたいからなのかもしれない。でも、どうしてもそこには拭い去れない違和感がある。それを認め、それとともに進むことが、私たちにできる唯一のことなのかもしれない。

   講評   kira

 ルフィくん、こんにちは。この語りかけは名探偵ホームズのワトソンくんへの語りかけに似ています。あまりに聡明な文章に触れて、友の才能に感動するというわけです。
 見事に、この複雑怪奇な(叱られるか?)文章をやっつけましたね。近代科学の申し子となり、合理主義に生きる人々が、赤子のように宗教に心奪われ、物語に没頭する。近々では、○ウムとかいう新興宗教がありました。世に言うエリートたちが信じられない暴走をしました。また、このところの世間のファンタジーブームもどうかと思う勢いです。みな、一体感を感じて幸福なのでしょうか。
 しかし、現実は逃避行を認めたりはしません。違和感を感じたならば、正解を探さなくては解決になりませんね。合理主義に代わるグレーの部分。そういえば、最近刑を終えたヨットスクールの代表が「教育の荒廃は近代合理主義の過度の信奉によるもの」と語っていました。なんでも、理論で片付いたりはしないのだと言うのです。
 東洋的なものが見直されるなかに、教育で言えば武士道精神が入るのかもしれません。茨の道です。自分に妥協と卑怯を許さない道です。
 西洋は、もしかしたら唯一神の存在を創る事で、大きな幻想を許したのかもしれませんね。逃げ、庇護される間は、いつまでたっても違和感から逃げられない事に気付くべきですね。


毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘 
 自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
 しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。

作文教室受講案内   無料体験学習   作文講師資格 
Online作文教室 言葉の森  「特定商取引に関する法律」に基づく表示」  「プライバシーポリシー」 
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)