対話と個別指導のあるオンライン少人数クラスの作文教室
作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)
小学1・2年生
小学3・4年生
小学5・6年生
中学1・2・3年生
高校1・2・3年生
IT社会 ノンキィ
今のような情報化の時代は、情報を積極的に流すことで、情報を管理している。私たちはテレビによって見えている部分と見えない部分とを総合的に判断することで始めて真実に近づくのだ。
金曜日PM8:00、ミュージックステーション始まりの時刻。毎週この時刻になると私たち三人姉妹は決まってテレビの前に座る。画面の中で話しているタモリとゲストの会話に時には笑い、驚かされることもしばしばある。このように、私たちが普段見る番組の中で、数え切れないくらいの人たちが、無限に尽きない数々の話題で談笑している。そんなテレビの中の世界について、ふと思うことがある。「この話のどこからどこまでが、台本によって制限されているのだろう」。まだ短い私の人生を振り返ってみて、いったいどこに情報に左右されない場面があっただろう。テレビの流す情報を全て鵜呑みにしない生き方があっても良さそうだ。たとえそれがいくら困難であっても。(生き方の主題)
マスメディアの情報を丸呑みにしないために、まず心がけなければならないことがある。それは、テレビに初めから疑いの目をかけることだ。既に歴史の教科書に登場するイラク戦争。連日テレビ欄を埋めていたのは、専らそれに関するニュースだった。ブラウン管から流れてくる、イラクの町に空爆を落とす多国籍軍の飛行機や逃げ惑う人々の映像は、遠く海を離れて安全に暮らす私たちにも危機感と恐怖感を持たせるに充分であった。けれど、もしあれが私たちも知り得るくらいオープンな部分であったなら、現実はどれほどひどいものだったか、想像がつかない。昨年社会の授業で、南京事件について信じがたい事実を知った。今でこそ日本中が知る当時の日本軍の犯した大量無差別の殺人は、その頃国民には一切知らされなかった、というのだ。政府は民衆に都合の良い情報だけを流し、人々の意識を完全に操作していた。このような行為は今ではありえないが、それでも大衆社会が進む今、メディアによる大衆操作の危険性はとても大きい。このような点からも、メディアに対して懐疑的な目を持ち続けることを忘れてはならない。(複数の方法1)(体験実例)
第二に、情報を得る手段をテレビだけに固定しないことが大切だ。衝撃的な事柄については、それについて新聞を詳しく読んでも良いし、身の回りの人と話し合ってみても良い。要は、テレビによって入ってきた映像中心の情報をじっくりかみ締めて消化する過程があればよいのだ。アメリカで同時多発テロが起きたとき、まだ私は小学校の四年生だった。10歳の子供が、あの複雑な事件を理解できる見込みなどかけらもないことは明白だったにもかかわらず、私の周りにいた大人たちは少しずつ、事件について教えてくれた。もちろん当時の私にはやさしく説明されたその説明でさえちんぷんかんぷんだったような気がするが(笑、そのような環境が身の回りにあるというのは本当に幸せであると身に染みて思う。これからは、否が応でも侵入するマスメディアの情報を自分の頭で自分のものとして考える力が非常に重要になってくるだろう。(構成)(ユーモア表現)
ただ、先に述べたようなイラク戦争の悲惨な状況を、新聞とテレビとどちらがより速くリアルに流せるかというと答えは一目瞭然である。私たちの大半がテレビ依存症なのは事実であり、一朝一夕で解決できる問題でない以上、テレビの全てを否定することは誰にも出来ない。けれど、「ことごとく書物を信ずれば、書物を読まないことと同じである」という名言がある。大量の情報は、自分の見解を多様にするために活用しなければならない。それを全て信じ込み、多くの人が物事に対し画一化した意識を持ってしまうためではない。これからの情報化社会といわれる日本、そして世界をマスメディアの望むような事態はなんとしても避ける必要がある。そのためには、私たちが何をすべきか。日々の暮らしの中で、テレビとの間に一定の距離を保ってうまく接しているような域方こそが、これからの先進国諸国に求められている。(表現) (主題)
講評 nara
電話の中でも出てきたように、今回の長文のテーマはとても現代的なもので、いろいろな場で採り上げられることが多いね。そのため、意見としてもよく練れていると思うよ。重量感のある意見文にまとまった。
情報というものは、いつも・どんなものでも、発信者の目を通して提示されるものだ。ここに、第一方法である「疑う」意味が出てくるのだね。第二次世界大戦のころの「隠す」という手法も、長文の題材となった「情報をどんどん流す」というやり方も、そこに発信者の意図がある点は共通だ。即時的な大衆操作には映像の特質がより活用されやすいものね。
第二方法はより具体的だ。小学生時代のエピソードもいいね。情報過多であるという状況は、マイナス部分だけでなく、比較検討の材料が揃っているということでもある。大切なのは、その比較検討を実行するか否か、ということだろうね。意外にも「人と話す」というコミュニケーションの一番の基本となるとことが、昨今軽んじられているようにも感じられるよ。その点、ノンキィさんは恵まれているとも言えるかな。
できれば、題名に使った「IT」についての話題がもう少し盛り込めるとよかったかな。ITが普及したことによって、情報過多にますます拍車がかかったけれど、それをどう自分たちのメリットにするのか、そこは大きな課題だものね。また、IT社会では、今まで情報を受信するだけだった人が、発信者となることも可能になった。この辺りも、これからの情報社会における重要な視点になるはずだよ。
……することによって始めて → 初めて
進級テスト合格。
毎月の学年別「森リン大賞」作品集森リンの丘
自動採点ソフト「森リン」で上位になった作文を掲載しています。
しかし、子供たちの実力はそれぞれ個性的です。上手に書けている子の作文を見せて、自分の子供の作文と比較しないようにお願いします。
|
お電話によるお問合せは、0120-22-3987(平日9:00-19:30)
| |