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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   「共生」の感覚を養う   うさぴょん

 障害は国籍よりも大きい差なのかもしれない。日本の中でさえも障害者は少なからず視線を集めるからだ。障害者に対する態度は日本と外国で異なっている。その根本にあるのは「共生」の感覚ではないだろうか。
 例えば、アメリカのオレゴン州ユージーンでは「障害者に理解を示す」というよりビジネスライクな対応をし、障害者も非障害者も対等な関係を結ぶ。それは決してドライであるだとか無情で冷酷な訳ではない。必要以上に構われないということよって、一人で行動できるという自由な権利を手に入れるのである。
 逆に日本であると、二つのケースが見受けられるように思う。障害者に手を貸しすぎる、あるいは全く手を貸さないというパターンだ。私は障害者といえばそうなのだろうが老人に席を譲るなどができない。逆にそういう人たちに会うと声をかけてしまう、という人もいるかもしれない。障害者の方を見る注視してしまう、あるいは見なかったかのように目をそらしてしまう、そんな人も多いのではないだろうか。これらは障害に過剰反応しているからだ。
 私のクラスには車いすが必要な女の子がいる。身近にそんな子がいるのは初めてだから、彼女がいる方を向けなかったし、彼女としゃべったことも少なかった。けれども今ではたまに車いすを押すようにもなったし、普通に話せるようにもなった。
共生、とは読んで字のごとく共に生きることだ。老若男女、国籍、そして障害。それらは実はわたしたちにとって障壁にはならない。「問題とは、そこにあるものではなく、自分が作るものである」という名言があるように、自分で壁を作り出してしまう、故に生きづらくなってしまっているのではないだろうか。では障害のあるなしに関わらず誰にとっても生きやすい社会とはどんなものだろうか。それは居並ぶ差を差としてとらえないということではないか。そのためには「共生」の感覚を養わなければならない。車いすを使う人だってそのためにできないことはあるが、その人の人間の本質は変わらない。したがって、そういう目と感覚を養った人が増えれば差別や過剰反応もなくなるだろう。したがって、対等な関係を結ぶも過剰反応するも、共生していくということについて考えていくことが大切なのだ。

   講評   nara

 体験実例を加え、まとめもふくらませたのだね。前の作文をベースによく練り直してある。まとめに入れた「車椅子を使う人だって……」は難解な言葉を使っているわけではないけれど、心に鋭く刺さる意見だ。こういう書き方ができるとは、腕を上げたね。
 例えば、「車いす」が必要だという場合、それが先天的なものによるのか、後天的なものによるのか、何ができて何ができないのか。それぞれに異なるはずだけれど、どうも日本人的感覚では一括りにとらえがちだ。まずは人を見よ、ということなのだろうね。

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