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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   NOVA   JOKER

「異文化コミュニケーション」という言葉を、とあるCMで聞いたことがある。異国(異世界?)の人が、英語で交流を!ということを伝えるための宣伝だが、何故こう呼びかけるのか。少し不思議に思ったことがある。日本と異なる文化だから、という理由で交流がない。それはとても寂しいことだ。形などが違っても、根本は同じなのだ。そこから私は、物事を見る時に一度文化を通すのではなく、広い目で見てみるべきだと思った。
 そのための方法として、第一に全てを理解しようと思うことだ。もちろん、本当に全てを理解することは無理だと思うが、新しいことはどんどん吸収するようにすることが大切なんだと思う。例えば、体育でバレーボールをしているのだが、そこではルールが本家とは違う。二人での試合形式で、サーブやスパイクを受けるのは、アンダーパスでも教わった取り方でもいい。という、独特の規則がある。初めは、中学の時からやっていた形と全く違うし、人数が少ないこともあってボールに触る回数もたくさんだ。しかし、その違いを理解した今だと、とても試合が面白く思えるようになってきたのだ。異なっているから、と毛嫌いするのではなく、認めることから新たに始まることがあるということを忘れないようにしたい。
 そして第二の方法は、幼い頃からの教育に「異文化コミュニケーション」を取り入れることではないだろうか。これは、以前も話題になった英語教育だけではない。例として、だるまさんがころんだ等の遊び。聞いた話によると、地域によって掛け声などが違うらしいのだ。そういった身近な場面から、異なるものへの意識を取るような取り組みをしていくことが必要なのではないだろうか。そして、歴史に残っている虐殺等、何故か理解する前に排除…という悲しいことが繰り返されている。幼い時に異文化に対する壁をなくすことで、また新たな世界を生み出すことが出来るのではないだろうか。
 確かに、狭い世界の中で信念を持つことも大切だとは思う。しかし、異文化というのは全てが異なるのではなく、それの担い方の違いなのではないだろうか。どんなに文化が違っても、人類は必ずつながっている。必ず分かり合えるものがあるということを忘れないでいたい。文化が全てだという考えは捨て、心にゆとりを持ち、寛大な人間になるべきだ。

   講評   nane

 異文化コミュニケーションというCMで柔らかく始めたところがいいね。
 異文化理解のような硬い話で、体験実例のバレーボールを入れるとわかりやすい。
 だるまさんころんだの異文化理解はおもしろいけど(笑)やや異文化の度合が少ないか。
 反対理解は、異文化の自覚というところに個性があるということかなあ。互いに分かり合えないくらい隔たっているということは、それだけ多様性があるということだろうね。



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