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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   地球意識   うさぴょん

 アポロ9号の乗組員だったラッセル・シュワイカートは、突然まったく予期しなかった静寂になったとき
「今、ここにいるのは私であって私でなく、すべての生きとし生けるものとしての我々なんだ。それも、今、この瞬間に、眼下に拡がる、青い地球に生きるすべての生命、過去に生きたすべての生命、そして、これから生まれて来るであろうすべての生命を含んだ我々なんだ」
こんな、静かだが、熱い確信が彼の心のなかに生まれていた。シュワイカートが宇宙空間で体験したこの私という個体意識から我々という地球意識への脱皮は、今、この地球に住むすべての人々に求められている。
 わたしは生徒である。学校の外にでると、どこどこ「の」生徒と見なされる。だから悪いことをすれば学校そのものが悪い学校に見られる可能性もあるし、良いことをすれば素晴らしい学校だとほめてもらえることもできるだろう。
 こんな風に誰しも分類され、その枠に置いて枠ごと判断される。これは社会、日常的な社会においては必要なことであるが、日本という国規模のまとまりで見たとき、ひいては地球というまとまりで見たとき、一個人としてとらえることはしてはならないのだろう。
 環境問題を例に挙げてみよう。町内で誰かが分別せずにゴミを出した、これを周りが叩く。けれども、叩いている間にそのゴミを分別し直すだとか、分別するように広報するだとかそれを考えなくてはいけない。これだけを見れば小さいものだといいそうだが、これらの集まりが地球規模の環境問題を引き起こしているのだ。
 自分が小さな社会にいると思うのではなく、地球に住んでいるという感覚で生活すべきなのだろう。

   講評   nara

 長文の主旨は理解できているようだけれど、では、どう感想をまとめて作文として成立させるのか、そこでやや手が止まっているような印象だね。
 「我」と「我々」とは対立する概念のようだけれど、そう単純でもなさそうだ。ある中学校に在籍しているということではあっても、その一人一人は決して同じではないものね。その括りが小規模の場合は、「みんな一緒」の感覚が強調されやすいし、括りが広範囲にわたると、どうしても違いが強調されやすい。大きな括りの中にあって、さまざまな違いがある、その上で連帯感を持つためには、何が必要なのか。ここを考えてみよう。
 もちろん、身近な生活基盤をないがしろにして、大きな視点を持とうと言っても、無理があるし説得力もない。うさぴょんさんが○○中学校「の」生徒であると実感するのは、どういうときだろう。おそらくは、その括りの外に立ったときだね。その究極のケースが「地球を空から見る」ということではないだろうか。つまり、「外から見る」ということが、中におけるつながり(連帯感)を意識するために必要なのだね。
 ゴミ・環境問題も題材としてはおもしろいのだけれど、この字数で述べるには唐突な印象だし、説明不足になりやすい。むしろ、根本的なところで、なぜ連帯感・我々意識が必要とされるのかについて、意見を提示する方が、まとめやすかったかもしれないね。

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