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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   死のことを考え、それまでの道を考えることが人生だ   スーランスラケイ

 生きること...
 命を持つこと...
 それは僕たちが多分日常生活でなかなか感謝することをせず、当たり前のように思うからだ。そんな事を思い始めたのは、ある長文を読んだからだ。その長文の題名は「人は二足歩行で」である。それは人の[死を意識して生きること]だということが主に書いてある。特に内容を強調していた部分はこの段落である。
「食われることとは、あるいは死ぬこととは、個体の中に宿ることしての意識、連続的な生の意識の喪失である。食う側はその固体だから食うのではなく、たまたま手に入った肉だから食うのだけだ。唯一無二でかけがえのない自分意識によって成立しているはずのエゴはそこでは単なる肉に還元される。だが、もともと無から生じたこと個体の意識がまた無に返るのに不思議は無い。自分がそれまでに食ってきたもののすべてが、他ならぬ自分もまた食われるものであることを保障する。こういう言い方をするとまるで悟り朱増した宗教者の発言のように響くものかもしれないが、野生の動物はこの境地を最初から心の内に具備されているものだ。」である。この長文の内容は僕の心のものさしで計ってみる。結果はかなり良くまとめてあり、それのおかげで今まで意識をよくしなかったものに気付いた。僕は死を意識しながら、生きていくのは必要で正しいと思う。理由は二つあるのだ。その二つの理由を述べてみよう。

 一つ目の理由は、命は神様からもらった最高のプレゼントだという事だ。そして命を持つこと 所謂生きることを意識することで人間はより多くの事を楽しめるのだ。例えばあるとき僕は四時間ほどの暇な時間があった。僕はその時、〔もし二百四十時間(十日間)しか生きられなかったら、何をするか?〕というのが学校で評判になっていたので、そのことを考えていた。
「僕は本当に何をしたいのかな???」っとずっと悩んでいたのである。今まで、死のことをを長い時間意識したのは、この時がほぼ最初だろう。最初は何も考えが浮かばなかったが、後からどんどん浮かんできた。
「世界一周旅行もいいし、あれも買いたいな、あれでも遊びたいかも。」としゃべりながらメモしていたのである。しまいにはどんどんメモしていた紙が溜まっていき、十四枚を越すほど出来てしまったのだ。(体験実例)もし「二百四十時間(十日間)しか生きられなかったら」という課題を与えられなかったら、じぶんの心の奥にある[望み]に気付かなかっただろう。そして今でも〔神からのプレゼント〕の自分流の本当の楽しみ方が絶対わからなかっただろう。例えばこれらの事柄を僕が二百四十時間(十日間)に実行した場合、生きていることに感謝し、その時間を愛し、神様からもらった最高のプレゼントだと思うに違いない。これが僕の一つ目の理由だ。

 二つ目の理由は、命というのはそんな簡単に扱うものではないからだ。最近のニュースでは、いじめ自殺や誘拐や殺害事件など、無残や理不尽な亡くなり方ばかりで、毎日悲しくなる。いじめている人たちや、誘拐事件や殺害事件を起こす、犯罪者たちは、「死を全く意識するどころか、人の命で遊ぶようになったのだ。」この人たちこそが{命を意識しない邪悪な心の集まった者}ではないかと思う。命は、一つ目の理由で書いたとおり、命は〔神からのプレゼント〕なので、簡単に人を殺したり、自殺に追いやることは、微塵も許したらいけないと思う。
 日本人は今、千九百九十八年の調査によると(ちょっと古いが)男の人は平均約七十七歳まで生きて、女の人は平均約八十四歳まで生きるらしい。(データー実例)だからといって日本人全員の人たちが絶対その歳にたどり着くというわけではない。従って、〈死を意識していないと、いつか命を扱うのに間違いを起こす〉だろう。扱うのを間違いを起こすのは自分の命だけではない、人の命でもあるのである。いじめ自殺が本当にいい例だと思う。いじめっ子たちがいじめられている子の命を軽く扱い、間違いを犯しているから、いじめられている子どもが自殺してしまうのだと思う。これらの理由で誰の命でも、無責任な非情な扱い方は微塵も許してはいけないと思う。これが僕の死を意識することに対しての二つ目の理由である。

 死を意識をすることは悪くないときもある。もし意識をしなかったら、死という苦しみを考えず、ずっと死の直前まで、楽ともいえるだろう。たとえば末期がんの患者が残された時間を死を意識せず楽しむことが出来たら、その人にとって、きっと、救いになるに違いない。

 僕はこの『死を意識すること』にパズルのラストのピースをはめるときと同じ様に、ぴったりとあてはまる名言が頭に浮かんだ。それは、
「人生や命のことは、
 何を意識するかよりも、
 何を意識していないかである。」だ。僕が前の段落などで、僕の大きい頭に入っている事を、ひとつ残らず説明した内容を、哲学的にまとめてみた。
 さらにつけくわえて表現したいことがある。それは文末に書こう。人間は普段の生活をしている時は、死を意識する機会は、あまり無いと思う。例えばある日、病院で手術するときなど、身の回りに事件が起きて、死と直面したときなどに死を意識するようになるかもしれない。だが、僕は普段の生活をしていても、死を意識した方がいいと心から感じた。死を意識して生きるときこそ本当に価値ある生き方が出きているということになるのことだと思う。命という神からのプレゼントを大切にし、{命を意識しない邪悪な心の集まった者}にならずに、人生を一所懸命生きていく、そうすることこそが、人間が目指すものではないか?

僕はいつまでたっても、死を意識し、人生を無駄にせず、嫌なことも、良いことも、全ての事に対して一生懸命に生き、色々なことに感謝して生きていきたい。本当に「人は二足歩行で」を読んで良かった。

【地球の子どもたちよ。
 目覚めろ!!
 死を意識し、
 愛している人たちのために、
 愛してくれている人たちのために、
 愛を持ってもいない、
 悲しい人たちのために
 思いっきり、
 精一杯、
 人生という名の
 命輝く道を
 歩んでいってくれ!!】 

   講評   isimi

 とてもよく書けました。ただ、第一段落の長文の抜粋はもう少しコンパクトにまとめて良いですよ。そのほかは、オリジナリティに富み、内容が十二分に膨らんでいて言うこと無しです。この調子で来学期も書いていきましょう。


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