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作文教室の丘から 小学生、中学生、高校生の作文 (編集)

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   夢を描こう   ノンキィ

 移植治療による臓器摘出は、脳死身体を資材化する。人間は、これまでありのままの世界を否定し、自己の可能性を拡張してきたが、テクノロジーがもたらしたのは不気味で非人間的な可能性である。現代のテクノロジーは、人間の道具に納まる範囲を超えて進んでいる。
 技術革新は、果たして人類の幸福と等号で結びえるのだろうか—最近のニュースや新聞は、そんな問いの浮かんでくるような話題に事欠かない。脳死や臓器移植、代理出産に関する訴訟など、人間の倫理感に直接訴えかける問題は、ここ数年、急速に現れ出したように思う。科学の発展を一心に追い求め、人間は、数十世紀もの間ずっと描き続けてきた夢を次々と実現させることに成功した。だがその結果人類は、自然界の領域を遥かに超越した、神のみぞ知る世界へと足を踏み入れてしまったようだ。人の身体を、模型のパーツのように扱うことを可能にした技術。そしてそれが徐々に一般化し、今やそれらに対する異常感をなくしつつある私たち一般民衆。考えれば考えるほど恐ろしくなる。技術発展に絡んだ倫理という新たな人類の課題の改善には、そんな私たち民衆の正しい認識と倫理感を養うべきである。(主題)
 その方法としてまず、過去を振り返ってみることだ。現代の日本では、国民の過半数が携帯電話を持ち歩いている。家の中には電気の力で何もかもが動き出す。民主主義や近代の人権の思想も確立した。当然のことながら、数世紀前まで、それらは全て夢のまた夢であった。権力を手中に収めるものは、支配する人民の命を握り、その権力を巡って日々戦に明け暮れた時代があった。そして、命が等しく扱われないことへの反省は夢の実現への原動力となった。先進国の中には平和主義を掲げる国も現れ、人の命の大切さが人間たる第一の基本として義務教育として教えられるようになった。私は以前、遠藤周作の“沈黙”に挑戦した。中学の間に一度は、と思い手に取ったのだが、あまりにむごい拷問の描写に最後まで読み通すことが出来なかった。大抵の人は、感じ取るはずであろう。過去を振り返ったとき、戦争の悲惨さ、人の命の大切さを。それを私たちは忘れてはいけない。自分の日常と全く切り離して考えるのではいけないのである。過去と向き合い、そこから学ばなければ、非人間的な行為から脱したかのように見えた人類はまたも過ちを犯してしまうのではないだろうか。(体験)(方法1)
 もう一つ、私たちに出来ることは、未来への展望を開くことだ。例えば私たちが、技術革新の現状に対する認識を特別に改めることをしなかったら。極端な話ではあるかもしれないが、人間の体の機能がお金によって売買される、そんな中世の闇市のような話も驚くべきものではなくなるかもしれない。必ずしも杞憂だとは言い切れない分、未来の人類の文化への不安は募るばかりである。未来へ長期的な視野を広げることで、私たちはいっそう現実の社会問題の深刻さを実感できるのだろう。普段、忙しい毎日の中でつい当たり前だと捉えてしまいがちな、あるいは全く他人事だと思っている問題は、数十年後、どのような形で人間を脅かすのか、根拠がなくてもよい、一度は考えてみるべきである。(方法2)
 もちろん、認識を養ったからといって何かが劇的に変わるわけでもない。そこから行動に移さなければ、知っているだけでは知らないものも同じようにも思える。しかし、知っているだけでは物事は改善されないが、知らなければ行動に移すこともできない。私は、そう思う。人類の進歩を止めることなど、個人の力ではどうしようもない。だが、私には知ることが出来る。私たちの先祖が、未来に夢を描いたように、私も次の世代に夢を託したい。人間の発展が、人間の本当の幸せをもたらす社会が訪れますように。今を生きる私たちは、その土台を築いてゆくべきである。(主題)(表現)

   講評   nara

 以前扱った長文に「表面的な変化には順応しているように見えても、人の本質はそうそう変化するものではない」という内容のものがあったけれど、覚えているかな。例えば、飛行機での移動。人間の力だけでは到底不可能な時間で長距離を移動する。短時間で移動しているのだから、体力を浪費するわけではないはずなのに、なぜか疲れてしまう。生き物としての容量を越えているのではないかと、考えることもできそうだね。しかしながら、先進国と呼ばれる国では、飛行機での移動はごくごく当たり前のこととして受け容れられている。体の理解と気持ちの理解とがうまくかみ合っていないところに、「当然」という感覚を強要されると、どこかでバランスが崩れない方がおかしいね。生命における技術と倫理観のアンバランスさも、似たような面があるのかもしれないな。
 第一方法:この急激な変化は、人間の長い歴史の中では暴走になりかねない。時に道をはずすことがあっても、軌道修正ができるのであれば、それはまた経験として後に活かせる。しかし、軌道修正ができるかどうかはどう判断するのか? 未来はわからないのであれば、過去における未来として、現在を検証するということが有効なのだね。
 第二方法:想像力という点が問題になりそうだね。想像は、好き勝手に思い描くということとは異なる。過去の事実の把握があり、現状に対する知識があり、その上で「どうなるだろうか」と考えなければならない。ここを踏まえると、第二方法が、第一方法とまとめの段落をうまくつなぐ接着剤になっていることもわかるね。
 知ることができるというのは、素晴らしいことだ。知らないと知っているからこそ、知ろうとする。知ればさらに知らないことが明らかになり、より知ろうとする。この一連の流れが単なる思考だけでなく、行動を伴うときに、「土台を築く」第一歩となるのだろうね。

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